彦坂さん/41次元アート。過去ブログ・トピック/INDEX。2007/04/01 - 04/30 (002)。

模型


  • 2007/05/01 (Tue) 【武田友孝さん】...04/30 (Mon) 武田友孝さんご夫妻がアトリエ来訪。奥さんのお父さんが集めていた動物の木の置物を、リノベーションアートの材料に持ってきてくださる。/安売りをしているワインの買出しに。/「清水誠一」「ASADA」両氏へ電話。愚痴になるが、過去が空無化していく、という話をする。/書き忘れていたこと。「皇居美術館空想」の参考の為に、新堀学さんから、横浜の「三渓園」を見ておいてほしい、とのメールで見に行った件。その感想。
    • 「皇居美術館」は、「三渓園」のように建物の外に建てるのではなく、「大英博物館」の様に、建築物の内側に、昆虫採集の様に採って、虫ピンで留める、という「抽象化」して「移築」するという形をとりたいです。/「近代」の美術館の構造が欲しい。/世界中から盗んで、採取してきた美術品を、背景から切り取って、抽象的空間の中に置いて鑑賞する。/シュルレアリズムの「デペイズマン」的な、異次元の中に入れるような鑑賞です。/決して、こういう「帝国主義的」な搾取の鑑賞構造が、良いといっているのではなく、そういう「空間」の出現が、「近代美術」と「美術館・博物館」という《近代鑑賞空間》を作ってきたのです。また、そういう「悪」をしっかり構成しておかないと、「巨大美術館」は成立させられないのです。/天候の悪化や酸性雨被害から美術品を守る、ということもありますが、「前・近代建築」を「現代建築」の異様な空間の中に、採取して来て飾る。このような顰蹙を買う「悪意」が無いと、人を魅了できないと思います。通俗的で下品なSFを想定した上で、空想として悪意に満ちた、国内美術品の搾取を描き出せないと、「巨大美術館」の構想は出来ないと思います。/「近代」そのものが、そういう「悪」であったし「現代」も、また「悪」そのものです。嫌なことですが、そうでしょう。/現代の悪に手を貸してゆく、手を汚してゆくという空想がないと「皇居美術館空想」は成立しないのです。この「空想」は「悪夢」なのです。
  • 2007/04/30 (Mon) 【古い世界】...04/28 (Sat) 原稿を頼んでいた「中原祐介」氏に連絡が取れない。「ギャラリー手」の杉山氏にも探してもらうがわからない。交通費、宿泊費は「ソフトマシーン美術館」もちで仕事を依頼しているのだから、締め切りを守るのが最低のモラルだ。しかし、中原氏は過去にもこういうことが頻繁にあった。精神にモラルが無い。ラカンのいう〈象徴界〉の無い人間類型なのだ。/何故そういう人物に依頼をしたかというと、デビューの時に恩義があるからなのだ。こういう事になる予想はあったが、自分の〈象徴界〉が働いて切り捨てられなかった、というところか。/▲...実際は、座談会の原稿と、「暮沢剛巳」さんの原稿もあるのだから、無くてもいいのだが、歴史を断絶させないため、古い時代の人間に文章を書いてもらう必要があるのだ。/▲...「峯村敏明」さんに、失礼を省みず依頼することにした。飛行機代を負担し、羽田でチケットを出券して、彼の奥さん経営の「なびす画廊」を訪ねる。/▲...「なびす画廊」では「本多真理子」展の最終日だった。売ることができない、所蔵も難しい、形式の混合がはげしい、マニアックな作品だと思う(*「レッド・ライン・コネクション」だろうか)。旧交を暖め、楽しかったが、画廊も「旧・現代美術世界の貸し画廊」という感じが抜けなかった。/▲...「ギャラリー山口」の「山口光子」さんを訪ねる。ワインを出してくれた。中原氏の行方を尋ねるが、やはりわからない。彼女の嫌いな「ジャクソン・ポロック」の話になる。個人の好き嫌いなら結構なのだが、これはどうだろうか。「李禹煥(リ・ウーファン)」氏は「マルセル・デュシャン」を認めていない。「藤枝晃雄」氏は「アンディ・ウオーホール」を認めない。それで「20世紀世界美術史」の記述が、果たしてできるものか。/▲...多くの人には「歴史」は存在していないのだろう。自分を殺し、好き嫌いの外にでないと、「歴史」は現れてこないのだろう。
  • 2007/04/28 (Sat) 【キムチ】...04/27 (Fri) 朝。白濱さんに携帯を鳴らされ起きる。開く前の空港で会い、時間つぶして、朝食。お土産に「醤油豆」を買う。/帰宅後、午睡。疲労感。アトリエから帰宅する途中で、気になっていた「胡瓜のキムチ」を買う。うまかった。
  • 2007/04/27 (Fri) 【文鳥小屋】...04/25 (Thu) 羽田で白濱さんと待ち合わせ、高松空港へ。「三木重明」さんの迎え。露出オーバーだった「牛小屋濾過器」再撮影。/昼はブームの「讃岐うどん店」へ。蘭の温室の店で、おいしかった。/午後、アトリエから送った「工芸品」類を使った「文鳥小屋」インスタレーションに集中。システム性をもちつつ即興的に。巨大な作品で、要素が多い。方法的な自覚を高くしてゆかないと成立しない作品だろう。スペースが空いてしまったので、余所の作家のオブジェを入れる。対にするために石を持ってくる。/京都の「アップライト・シー」新作を購入してもらい、展示を変えることに話を持ってゆく。閉塞感を消して、空間を大きく。/新作「グジャグジャ君」ドローイングを一同に展示。夜9時までかかる。
    • 2007/05/21 - 12/21「彦坂尚嘉回顧展 2 〜 Vertical Circle」 @香川県多度津「ソフトマシーン美術館」。これの準備の記述。

  • 2007/04/25 (Wed) 【別居】...04/24 (Tue) 明日の四国行きの予定を完全に失念していた。白濱さんの連絡で気づき、あわてて「リノベーション・アート」を送り、チケットの手配をする。/出版の件と、バンドでのパフォーマンスを見た妻が、別居を言い出したのだ。ごたごたがあって、アトリエに住むことになった。作品に集中できるのは、願ったりかなったりだが。/リスボン用出力の打ち合わせ。
  • 2007/04/22 (Sun) 【制作。リスボン建築トリエンナーレ用原稿。】...04/22 (Sun) アトリエで小品制作。自分が買いたいかどうかを基準にしたい。/「白濱雅也」さん、ライブ会場で『皇居美術館空想』が「リスボン建築トリエンナーレ」出品まで展開したことに感慨聞かせてくれた。馬鹿げた与太話に見えるかもしれないが、日本で作家をやってきた自分の経験の「結晶」といっていいかもしれない。/展示で使うものの、下訳のための原稿を完成させた。
    • 『皇居は東京の空虚(ボイド Void)』。
      • 《表徴の帝国》で、ロラン・バルトは、東京の中心に、皇居という森だけの空間があることに着目して、日本文化の意味の欠如、という独自の日本論を記している。
    • 『〈超一流〉の日本美術を日本中から集めて皇居巨大美術館の建設をしよう』。
      • 皇居をリノベーションして、ルーブル大英博物館メトロポリタン美術館に匹敵する、巨大美術館にする、という提案です。外国の巨大美術館は、海外からの収奪、移築により作られていますが、「皇居美術館」には、国内の〈超一流〉の建築物、絵画、彫刻、工芸品を移動させて、収蔵・建設します。そうして、海外からの観光客が、日本の〈超一流〉芸術を一挙に見られる、また、国民も、一望のもと見ることができるようにします。
    • 天皇を日本の古き伝統文化の象徴へ』。
      • 明治維新では、天皇は、京都から東京に移り、西洋化の象徴として軍服を着用し、近代化・産業社会化、富国強兵を押しすすめ、敗戦という結果を迎えました。敗戦後は、焦土化した日本を「巡幸」し、復興をうながして、日本は、世界的な工業国として繁栄を謳歌するまでになりました。しかし、ソビエト崩壊後の「ポスト冷戦時代」に、バブル経済が崩壊し、日本社会の共同体は解体。家族制度も危機にみまわれ、離婚は増え、家族間の殺人、虐待が増大し、年間3万人の自殺者、年間100万人の「ひきこもり」を生み出しています。/明治維新から始まった日本の産業化の歴史は終りました。そのことを明確にするため、天皇には京都に帰っていただく。美しい京都御所に住んで、滅びた日本伝統文化の「表徴」になっていただく。皇室の結婚は、西洋式を改め「牛車」で、海外の国賓の晩餐会は、完全なる「日本料理」でもてなす。そうしていただきたい。
    • 『アート立国を国是とする芸術憲法を制定』。
      • 人心一新のため改憲します。日本の国家の理念は「芸術立国」とし、これを明記。「芸術憲法」を制定します。/天皇には、古き伝統の「いにしえ」のまま生きていただく。生ける伝統として、「芸術の守護者」になっていただく。芸術の庇護者にしてパトロンです(毎年優れた作品を買い上げていただく)。/天皇の「伝統天皇」への回帰。「皇居巨大日本美術館」の建設は、外交に非常に良い影響を与えて、日本の未来を切り開くことになります。
  • 2007/04/22 (Sun) 【演奏会】...04/21 (Sat) 「よみがえる」の演奏会は成功。零時をまわって帰宅。達成感がある。「刀根康尚」「フルクサス」系のアマチュアリズム。色々な人との組み合わせの妙。ラカンの言う「出会わない」人間が「出会わない」まま組み合わさる面白さ。


  • 2007/04/21 (Sat) 【練習2】...04/20 (Fri) 公演のための買い物で忙しい。夕方御茶ノ水で練習。 
  • 2007/04/20 (Fri) 【練習】...04/19 (Thu) バンドで練習に精出す。
  • 2007/04/18 (Wed) 【「想像界」2】...04/18 (Wed) アトリエに「伊藤直正・佐々木薫」ご夫妻来訪。
  • 2007/04/17 (Tue) 【「想像界」】...04/16 (Tue) 六本木「アート・バイ・ゼロックス」で画像をコピー。およそ400点。/「三和書房」で打ち合わせ。/帰宅。妻と喧嘩。
  • 2007/04/17 (Tue) 【決着】...04/16 (Tue) 東京の「新堀学」さんの事務所で打ち合わせ。/夢中で「詭道論」を書いていた。重要なのは、自然界と人間社会が、生存競争と詭道性の面で連続していること。〈6流〉美術は「詭道」のアートであることで、これにも連続性がある。とりあえず、ここ数年来、考えてきたことは決着がついた。
  • 2007/04/15 (Sun) 【オープニング】...04/15 (Sun) 愛知の「ASADA」さん無事ご出産。/明大前「キッドアイラックアートホール」で、第2回「現代美術家と音楽家のコラボレーション 2007」の公演シリーズ、オープニング(前夜祭)を見る。自分たちのグループ「よみがえる」の公演は、07/04/21 (Sat) に迫っている。
  • 2007/04/14 (Sat) 【詭道】...04/14 (Sat)『カーサ・ブルータス』最新号。「五十嵐太郎」「中沢新一」対談記事の中で、彦坂尚嘉・新堀学の『皇居美術館空想』が紹介されている。これは「皇居巨大美術館構想」へと、変貌してゆくのだが、「初心」を忘れず「社会化」させる呼吸が難しい。中沢さんの用心した反応がおかしい。


    • 昨晩、今晩続けて、お互い60歳の美術家同士「清水誠一」氏と電話で、現代美術の世界が「空無化」していっていることについて話す。まず、先輩作家、同世代作家で制作を続けている人が極端に少ないこと。...加齢につけ、意欲も衰え、作品も悪くなるとは情け無い。/自分の「アートの格付け」で言う〈6流〉作家は、経験の蓄積が作品の高度化につながらない。実例でいえば「岡本太郎」「ジャン・デュビュッフェ」。それでも彼らは制作は続けている。/自分たちの世代は、時代の変化の中で、制作の手がかりを喪失していっている。また、「ときわ画廊」「田村画廊」「さとう画廊」「ルナミ画廊」「白樺画廊」「銀座絵画館」が店じまいして、人間関係が消えて、発表活動も出来なくなっている。
    • 食べ物に例えるとこんな感じだろうか。食べて、消化されて、糞になる。社会、画材屋、ジャーナリズムという「美術界」は、常に新しい作家を求めていて、彼らを食べ、消費し、糞として排出する。新人作家も、彼らが中高年になると、見向きもされなくなる。加齢で作品も悪くなり、悪循環の中で身動き出来なくなっていく。糞なんだから身動きできないのは当たり前だ。寂しい限りだ。/作家も消費されてゴミになるのが現実だ。制作された作品の9割もゴミになった。自分が40年間見てきた作品のほとんどが空無化するというんだから、壮大な悪夢だ。
    • 失望が大きいのが「美術評論家」に対してだ。皆、それなりに芸術を理解し、芸術観を持っているのかと思っていたら、社会に消費され、その果てには何も無かった。後世まで読まれる評論がどれだけあるのか。自分自身は「日本美術批評全集」を編纂したい欲望はあるのだが、「針生一郎」会長の「日本美術評論家連盟」にはそんな意思は無い。そのことが自分を空無感で苦しめる/「歴史家の眼」で、ゴミと糞の山の中から、後世にも意味を持つ「名品」美術批評を発掘する必要がある。こういう作業が「歴史」を作るのだ。「骨董商」の視線が、次元の異なる「価値領域」を作るのだ。
    • 「画廊」というものも、作家と社会をつなぐ客観的な位置を占めてきたとは言えない。時間の経過で、画廊そのものも社会に消費され空無化する。「社会」というものの想像以上のこの力はなんだろうか。/今回、京都の「ギャラリー16」が、自分のデビュー当時の記録展を開催してくれたのは例外的なことだ。「画廊」の、自分自身の過去の検証作業が行われれば、残るものは多いはずだが、それの出来ない「画廊」が大半だ。「歴史」を回顧し、発掘する視線と、新しい作家を追いかける視線は、次元が違うのだが、この両方の眼を持つ人は稀だ。
    • 実は、社会の原理のなかに、あらかじめ仕込まれているなにかの所為で、すべてのものが空無化するのではないのか。/蜜蜂の働き蜂を観察すると、80%は「働くフリ」だけしているそうだが、この「自然の摂理」は、人間社会の不可解ないい加減さ、空無性を考えるモデルになるのではないだろうか。/自分の格付けでは〈1流〉となる「社会領域」だが、この「社会」には虚妄性がある、という構造を少しでも明らかにしてみたい。これから、多くの人が読みたくない、気づきたくないことを書くので、誰も読まなくてよい。勝手に書く。
    • 働き蜂8割が働くフリ、というのは、人間の社会でも同じ構造だ。《フリ》は、イリュージョン、「鏡像」である。/これは、ジャック・ラカンの「鏡像段階理論」からとっているのだが、ラカンの研究によると、人間の「自分である意識」こそが「鏡像」なのだ。自意識とは、鏡に映った自分自身を見て、自分とその「鏡像」を強引に合体させ、了解して作った推論としての自分自身のことだ。これは「社会」という次元でも同様で、「社会」には実体が無く、架空のバーチャル・リアリティであり、「鏡像」の様なイリュージョンである。言い換えると、多数の人間が共存して、大きな社会という場を形成していくためのバーチャル・リアリティ、である。/もともと社会そのものは映像でしかない。実体がない。だから空無化する。もともと金メッキの指輪なのだ。時間が経てばメッキがはがれて人を幻惑しなくなる。/働くフリの蜜蜂は、メッキの指輪である。結婚詐欺師みたいなものだ。預金だけ巻き上げられ、愛は成就しない。空無性・失望・無意味感が残るだけ。社会の8割は詐欺師が形成している。だがそれにしても多過ぎないか。
    • 働くフリをしている8割の蜂は、実はフリすることで社会を構成している「機械」である。《アンチ・オイディプス》という本から引いているのだが、「社会」が動いてゆくためには、それが、機械が連鎖的に動くシステムである必要がある。「人間」も「社会」も、幾つかの自動的に動いて止まらない機械の連鎖である。/例えば「郵便事業」。手紙の内容が、運搬に値するか否かを問わずに、自動的に運ばれ、宛先に届く必要があるのだが、これは「郵便機械」とでもいうべきものであり、従事する人間も「郵便自動機械」だ。調べると、エジプト文明の時代からすでに「配達人」:「郵便機械」は生まれていたのである。/「コンビニエンスストア」も同様だ。マニュアル通りの接客、挨拶をこなす社会の8割の人々。真に働いているとは言えない。自動化した機械的な労働をしているだけだ。これが「働くフリ」ということである。この仕事が意味を持つか、とかの反省とか、結果に責任を持つ、という「署名性」は無い。なぞって、自動化しているだけ。自動機械に人間が組み込まれ、機械的に労働することが「労働」だとされている。
    • 「官僚」というのも同様である。官僚には、自閉的な内向的人物類型があるそうだが、例えば「美術館」の官僚たちも、無名性をもって、責任をとろうとせず、深く考えず、機械として事業を作動させている。言い換えれば、この社会での普通の意味での「労働」は、「働くフリ」をすることである。マルクスが「疎外された労働」と呼んだものだ。この「疎外」は蜜蜂の中にもあって、進化の中に組み込まれた自動機械の構造なのだろう。
    • 考えれば、自分の胃腸も、意識しない内に消化活動を行っている。生物の肉体も、さらには宇宙さえも、自動機械の様に動いている。/私は、これを「自然の持つ詭道性」が貼り付いている、と言い表す。例えば、植物が受粉を昆虫に手伝わせるため花を咲かせる、捕食するための昆虫の擬態の様に、自然界には「詭道:だましの技術」が発見できる。何かを、人を「だます」という「悪」は、人間固有のものではなくて、そもそも自然に内在している。「悪魔」とは「自然」の中に内在しているあるモノの「意」である。
    • 自然の中に「詭道」があることを意識すると、この自動機械の連鎖である社会を生きることに、「詭道性」があることが見えてくる。/孫子によると、戦争の技術の本質が「詭道:だましの技術」なんだそうだが(*「兵法とは詭道なり」)、スポーツの戦いも、多くは「フェイント」であり、「空手」の場合には、自分の動きを相手に悟らせず、正確、迅速に相手の急所を攻撃することである。
    • 「詭道性」こそ社会の構造であり、基本的に、社会は「だまし」の技術で成立している。何故なら、「労働」が、自動機械の仕事になっていて、「真理」「真実」が無視され、仕事が自動作用に任されるから。あるいは、生物のもつ「自動機械性」が「真実」「純粋さ」と正反対のものだから。/「正反対」の性質とは、「生存競争」ではないだろうか。弱肉強食の「生存競争機械」が自然であり人間社会である。「生存競争」を覆うものが「詭道」である。/弱いものを殺して喰う。殺すためこちらの攻撃を悟らせない。そのためにだます。この連鎖が、社会という「自動機械」の本質であり、「生存競争」もまた「自動機械」である。/社会の「自動機械」システムは、生物が持つ機械構造の延長線上にある。進化の過程で身体変化した、キリンやゾウの様に、人間は大脳皮質が大きくなった。更なる拡張の為、道具を使うようになった。石器、鉄器が弓矢になり、銃になり、ミサイル、原子爆弾になった。騎馬が自動車になった。頭脳が道具化してコンピュータが登場した。
    • 道具以外の「システム」も、動物進化の外部化の延長であるから、生物的な「自動機械」の性格を持っていて、そこで働く人間を、生物の内側に、自動機械の歯車として取り込んでいる。/つまりは文明化したシステムは、人間を越えて進化をとげた別の生物だともいえるだろう。自分の格付けでは、「自然性」を示す〈6流〉である。/つまり〈6流〉の文明が、いま展開してる。自然が進化した形態とでもいうべきものである。「外向」世界で〈6流〉芸術が主流なのも、当然の事態なのだ。
    • 人間が生きている三つの階層世界について。/内向。中向。外向。この三階があると思う。
    • まず「内向性」について。「自動機械」の外部の生存競争の過酷さから逃れるため、蛸壺(または城、部屋)に閉じこもった個人の世界。卵の様に完全に閉じているものより、ヤドカリ、亀の甲羅みたいに、一部が出ているケースが多い。/極端なイメージで言うと「ひきこもり」の若者なのだが、守ってくれる親がいなくなれば、生存競争の世界に出ざるを得ない。/しかし、社会に出ても、自己防衛に徹する、精神的に内向した自閉したタイプが、かなり多く存在している。彼らの「蛸壺」は、現実界には無くて、精神、心の内側にある。/「自分らしく生きたい」という気持ちが、自己への囚われに変わると、精神の城が築かれる。キルケゴール的な哲学領域といってもいいのだが、今日ではその数が多すぎる。社会の8割方の人が自閉、内向型。特別な訓練を受けていない自前の哲学者になっている。
    • さて次に「外向的」な人の有り様はというと、生存競争の自動機械がいくつも連鎖している現代の社会で、その中に入って、自分も「自動機械」として作動していく能動性である。/そこは「自動機械」特有の「表面性」「現実性」、競争、闘いにつきものの「詭道」だけがある場所であり、「真実」「純粋性」「芸術」などは無い。/「外向的」な世界での芸術には、表面だけの「有名性」「高額性」だけがある。そこは金無垢の指輪も、偽物の金の指輪も、区別をつけずに流通させてゆく自動機械の世界なので、どれが優れているかを問う意味も無い。「外向的」な世界には「歴史」が無い。正確ににいうと、「歴史」はどんどん忘れられて行く。
    • 「中向性」の領域は、外向の生存競争の世界とは次元の異なる世界であり、「外向」「内向」の両世界にまたがりながら、両方から切断され、自立している世界である。「真実」「純粋性」がある。家族・知人の領域。学問の領域。「理性」「記憶」「モラル」が構造として生きている。「芸術」が存在する領域である。
    • 今日の世界では、この三つの領域がバラバラに解体されて、文明的に「内破」状態になっている。また一人の人格としても三層の統合が出来ない状態になっている。ここからポストモダン特有の状況が作り出されている。/意志を持って、三層を自由に出入りする「可動性」を獲得することが重要になってきている。
  • 2007/04/14 (Sat) 【デュマス】...04/13 (Fri) 木場の都現代美術館「マルレーネ・デュマス」展オープニング。「深川いっぷく」で「飯田啓子」「白濱雅也」両氏と待ち合わせ。予想以上に弱かった。会場負けしている。技術で作品を作っているのではないか。会場を出ると内容をすっかり忘れてしまう。/メールで、原稿の出版の合意が知らされて来た。
  • 2007/04/13 (Fri) 【病院】...04/12 (Thu) 診察を受け、薬を飲み、寝ている。
  • 2007/04/12 (Thu) 【風邪】...04/11 (Wed) 風邪で寝込む。
  • 2007/04/11 (Wed) 【バンドのスタジオ練習】...04/10 (Tue) パスポート更新申請。六本木「アート・バイ・ゼロックス」での打ち合わせ。御茶ノ水の貸しスタジオでバンド練習。
  • 2007/04/09 (Mon) 【赤い風船】...旅疲れで遅く起きる。パスポート更新用写真の撮影。夕方「加藤力」さんとアトリエで「赤い風船」作品を動かしてみる。デニーズでおしゃべり。「伊東直昭」さんの家にお土産を持ってゆく。

  • 2007/04/07 (Sat) 【2007/04/07】...昨日はカタログ用の原稿修正に一日過ごす。本日「中原祐介」氏を、四国の「ソフトマシーン美術館」に同道、作品を見せ、対談する。
  • 2007/04/06 (Fri) 【明日は四国】...ふたたび四国へ。
  • 2007/04/06 (Fri) 【キッドアイラック...二度目下見】...04/06 (Fri)「よみがえる」メンバーと参加者で下見。撮影「清水佐絵」、ギター「バンドウジロウ」、美術家「加藤力」「佐々木薫」各氏。彦坂尚嘉さんは、牛乳瓶百本割りと、とまとの液をかぶるパフォーマンスを行う。バンドは「エサシトモコ」「後藤充」「木村昌哉」「彦坂尚嘉」。サポート「バンドウジロウ」。2007/04/21 (Sat)「キッド・アイラック・アート・ホール」にて。
  • 2007/04/04 (Wed) 【高橋 氏】...知人たちが夕食に来てくれた。夕方嵐になる。文章の整理がついてきた。自分ながら良いものを書いてきたんじゃないだろうか。なんとか出版したい。
  • 2007/04/03 (Tue) 【伊東直昭・佐々木薫ご夫妻】...伊東さん・佐々木さんが夫婦で「越後吾妻トリエンナーレ」の「トマトの絵」の水洗いに来てくれた。自分は古い自分の原稿探し。「美共闘」ポスターは見つからない。


  • 2007/04/02 (Mon) 【文章】...回顧展の評が載った「京都新聞」が届いた。扱いも大きくありがたい。/「アトリエ」で昔の原稿を掘り出す。思わぬものが出てきて、読み返し、コピーを取り始める。
  • 2007/04/01 (Sun) 【ラッヘンマン】...「ア−トスタディーズ・ツアー」無事終了。座談会の文字起こし、参加者校正の段階に。/好きな「ファーニホウ」と、「ダルムシュタット派」の同僚だということで「ヘルムート・フリードリッヒ・ラッヘンマン」という作曲家を聞く。がっかりだった。/気晴らしに映画《ミッション・インポッシブル3》を見てしまった。