彦坂さん/41次元アート。過去ブログ・トピック/INDEX。2007/05/01 - 05/10 (003)。

サンゲツの箱


  • 2007/05/11 (Fri) 【案内状で手間取る】...05/10 (Thu) 案内状の切手面を消してしまったり、サイズのミスもあり半日つぶれる。ようやく「プリントパック」に入稿。/リスボン展梱包。「リンテック」という、印刷、シール関連企業ほかの協賛で、「東京デジタルマップ」をラミネート加工粘着シートに出力して会場の床面に貼り付ける計画なのだ。地図のデータをイラストレーターで扱えるように変換するソフトを買うそうだ。/コンピュータの発達で、今までの自分の印刷に関する経験・知識が古くなっていることを思い知らされた。
  • 2007/05/09 (Wed) 【フェイクアート】...05/09 (Wed) カタログの件と案内状作りでつぶれる。「清水誠一」さんと電話。「小谷野敦」『すばらしき愚民社会』(2004年 新潮社)という本を読んだ感想。「私的」な人間の実数。
  • 2007/05/08 (Tue) 【長谷川尭氏】...05/08 (Tue) リスボン用に銀行口座を作る。「伊東直昭」さんと武蔵野美大に行き「長谷川尭」氏とお会いする。
  • 2007/05/07 (Mon) 【バージョン違い】...05/07 (Mon) 四国に送ったカタログのデータ。アプリケーションのバージョンが違っていて開けなかった。白濱さんに PDF でやり直してもらっている。
  • 2007/05/07 (Mon) 【ラウンドリーディング・リスボン・入稿】...05/06 (Sun) 早朝からカタログ写真のキリヌキをやって白濱さんに送付。今頃キリヌキは遅すぎるのだが、必要を感じて。/白濱さんは羽田のヤマト運輸の事務所で作業。航空便で高松へ送り、三木さんが四国の印刷屋で刷るという手筈。自分は本日15時からの「ラウンドリーディング」のレジュメ作り(「国士舘大学」内で開催)。結局、白濱さんから送り済みの連絡が入ったのは21時頃だった。/...彦坂さんは『芸術起業論』を担当。この後、「新堀学」さんのリスボン「皇居美術館」建築プランを始めて見る。長い会議。三軒茶屋で飲んで、最終で帰宅。


    • 2007/07/15 発売『建築ノート』第3号 書評企画。# 02「ラウンド・リーディング」...テーマ「アートと建築」。
    • 第一部《美術館》。
      • 並木誠士 + 中川理『美術館の可能性』学芸出版社 (2006)。...「美術館」という制度と社会背景をどう論じているか。
    • 第二部《建築×美術》。
      • 『物質試行 49 鈴木了二作品集 1973 - 2007』INAX (2007)。...論考の紹介。本のデザイン。
      • 川俣正、ほか『橋を歩いていく』小学館 (2004)。...プロジェクトをどう紹介しているか。絵本というつくりはどうなのか。
    • 第三部《美術×批評》。
  • 2007/05/06 (Sun) 【建畠皙氏の文章】...05/05 (Sat) 19時が締め切り。「建畠晢」氏の原稿昼に届く。/築地で出力してみると、問題山積だった。/日本橋キンコーズ」で画像だけ直して、帰ることにする。/夜中回って帰宅。画像の直しの仕事が残っている。
  • 2007/05/04 (Fri) 【カタログの追い込み】...05/04 (Fri) 明日が入稿締め切りで大変だ。
  • 2007/05/03 (Thu) 【ライブ・ビデオ】...05/03 (Thu) ラウンドリーディングの準備。「村上隆」著『芸術起業論』を読んでいる。/「清水佐絵」さんが編集を終えたライヴのビデオが届く。良い出来。/「建畠晢」氏が四国の展示に行ってくれている。
  • 2007/05/02 (Wed) 【カタログ作成】...05/02 (Wed) 白濱雅也さんに家まで来てもらい、カタログ制作追い込み。
  • 2007/05/01 (Tue) 【《鑑賞》】...05/01 (Tue) 寒の戻りか。雨で寒い。午前中はメールを書く。午後は「文鳥小屋のリノベーション( The Menegerie of the Late Father's Souvenirs )」という写真作品の組み立てにあてる。
    • 『新堀学さんから請求のあった「鑑賞論」』。
      • 「鑑賞」ということについて、いろいろな角度から考察してみます。/1.歴史。2.本質。3.形式。
      • 『歴史』...西洋でも東洋でも、17世紀に、「実用芸術」「鑑賞芸術」の分離がおこります。/「歴史家」に求められる厳密さは無理なのですが、18世紀に「美術館」が成立しますので(*ローマ「カピトリーノ美術館」(1734 市民公開- 1748 増設) か?)、「美術館」が成立するような形の《鑑賞》の登場は17世紀ということになります。
      • 「鑑賞用絵画」の成立のもっとも早い例は、オランダ・フランドル地方であり、主に輸出品としての絵画を制作する工房が乱立しました。/代表的な美術家は「レンブラント」で、「画商」も兼ねていました。...「画商」というのもこのころ登場した職業です。
      • レンブラント」の絵画の特徴と、「鑑賞」の成立も密接な関係にあります。画面の中の一点(あるいは幾つかの点)に、暗闇の中に光線が鋭く差し込んで、光が当たっている部分が強調され、闇の部分も強調されるという特徴的な手法なんですが、そのドラマチックな描写には、人を引き込むような魅力があります。この「人を惹き込む力」こそが《鑑賞》の成立なのです。
      • 例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチには、「鑑賞芸術」「実用芸術」の分離という現象は見られません。様々な建築物や機械の制作もしていますし、ミラノの装飾天井画といった、一般の人に紹介されない実用美術の制作もしています。



      • 「絵画を輸出する産業の成立」「画商の登場」「鑑賞芸術・実用芸術の分離」。これがセットになって出現しているのです。
      • 実は、このような「分離」という現象は「芸術・美術」のジャンルだけで起きていたのではありません。
      • 《近代》の構造は「分離」する、ということではないでしょうか。「近代」になり、「実用美術」「《鑑賞》美術」の分離が起きた。/つまりは、「実用」から「分離」されないと《鑑賞》は成立しないということです。
      • まだ話していないことで、美術作品が、「宗教美術」から独立したときに《鑑賞》美術が成立する、ということがあります。
      • 16世紀と17世紀を隔てる境界は、「産業革命」によって、「近代」に踏み越えて行く《分離》の構造でした。しかし現代では、《分離》が否定されて「再統合」へ進んでいる様なのです。《分離》の否定はコンピュータの登場と平行して起きているようです。
      • 日本の美術史の17世紀では、浮世絵師の「菱川師宣」が重要になってきます。挿絵から、鑑賞絵画の一ジャンルに高めたということで、「浮世絵の祖」と称されます。/つまり「イラスト」が、《鑑賞》芸術になったものが、「菱川師宣」から始まる「浮世絵」なのです。
      • 17世紀のフランドル地方で起きたのと同様に、日本でも、絵画の商業化、流通市場化が起きていたのです。「美術市場」の登場と、《鑑賞》芸術の成立は、ここでも密接に結びついていたのです。

      • 菱川師宣」が登場する基盤を用意したのは、やはり17世紀の「岩佐又兵衛」という画家です。彼も《鑑賞》絵画を描きました。/「岩佐又兵衛」の「世俗画」の意味するものは、絵画の、宗教からの「分離」です。
      • 絵画の主題の「世俗化」が、何故重要かというと、世俗を描いていること以上に、宗教から《分離》しているという点なのです。/「近代」では、芸術の、宗教からの《分離》は、世俗へと還元しないのです。
      • 《分離》がつくった《鑑賞》構造の中から、《芸術至上主義》というイデオロギーが生み出されるのです。/「宗教美術」から《分離》して《芸術至上主義》に流れ込む過程で、例えば「浮世絵」のような「世俗画」の形をとるのです。
      • 西欧での展開の場合はこうでした。/静物画、人物画、風景画という「脱・宗教性」をとりながら、「カント」の芸術哲学を背景にして、「哲学芸術」=《芸術至上主義》に移行していった、のです(*カント《判断力批判》)。
      • 人類の歴史、という視点から見ると、三段階あります。
    • 自然採取時代。:呪術美術。
    • 農業革命以後。:宗教美術。
    • 産業革命以後。:哲学美術。
      • 「哲学美術」の中に、《鑑賞》という構造が見出されます。/その先駆として、まず17世紀に、「実用」美術と、《鑑賞》美術が《分離》するのです。/《分離》がおきた後、《鑑賞》美術の内側から「哲学美術」が立ち現れるのです。/...「哲学美術」が「《鑑賞》構造」を生み出すのではなく、「《鑑賞》構造」が自立することにより、カントの哲学を生みだして、「哲学美術」としての「モダンアート」を推し進めるのです。
      • また、この他、日本の17世紀には、「俵屋宗達」「尾形光琳」といった「琳派」がいます。/「琳派」の絵画は「装飾実用」の絵画ではなく「《鑑賞》芸術」なのです。
      • この問題は複雑さを含んでいます。「本阿弥光悦」という、16、17世紀にかけて活躍した「マルチアーティスト」の仕事に特に先鋭に現れています。/彼の「山月蒔絵文庫」などの工芸作品は、「実用美術」ではなく、《鑑賞》美術になっているという点が重要なのです。


      • 日本では、「工芸」といっても「《鑑賞》芸術」化しているものがあるのです。まあ、この紛らわしさは日本美術の特質でもあります。/日本においても「実用美術」と「《鑑賞》美術」の「分離」は起きているのですが、「実用品」の制作の形をとりながら「《鑑賞》芸術」になっているのです。
      • 「実用品」が「《鑑賞》芸術」化した極端な実例としては、「刀剣」が挙げられます。「刀剣」は「《鑑賞》芸術」として成立しているのです。


      • 日本において「《鑑賞》芸術」を見る場合には、「刀剣」「着物」「陶器」「工芸」「面」「石燈籠」など、普通に考えた場合には「実用美術」でしかないものが、《鑑賞》の対象になるだけではなく、「《鑑賞》芸術」として制作もされてきているのです。
      • では、日本において、「実用美術」と「鑑賞美術」の《分離》が、西欧での様に、「絵画・彫刻」と「クラフト」という感じで明快にジャンル分解しなかった理由はあるのでしょうか。
      • 西欧では「絵画・彫刻」の全てが、厳密に「《鑑賞》芸術」になっているか、というと、そんなことは無いのです。/ロンドンの「ヴィクトリア・アルバート博物館」には、「西洋骨董」といわれる「実用美術」が沢山収蔵されています。/実は、西欧社会では、「絵画・彫刻」形式に類似した「実用美術」はたくさん制作されてきています。つまりすべての「絵画・彫刻」は真性の「《鑑賞》芸術」であるとは言えず、実は「実用美術」であるものが大量に生産されてきたのです。
      • 日本文化は、こうした西欧の実態が「反転」した形態だと言えるでしょう。つまり日本の全ての「実用美術」は、真性の「実用美術」になっているわけで無く、「実用美術」の形式でありながら「《鑑賞》芸術」であるものが生産されてきているのです。
      • 精神分析構造主義哲学の「ジャック・ラカン」の用語を使って説明してみます。/17世紀から起きてくる「実用」と「鑑賞」の《分離》というのは、〈象徴界〉の次元で起きた《分離》であり、その他の次元では「未分化」のままなのです。
      • そもそも〈想像界〉には《分離》というものは無いのです。簡単に言ってしまえば〈想像界〉は「イメージ」の世界ですから《分離》は有りません。「イメージ」の世界なら、上半身が人間で、下半身が魚という合体も簡単にできることですが、(物事の本質・機能を判断する〈象徴界〉の働きである)《分離》は、成立させることが出来ないのです。
      • また〈現実界〉にも《分離》は無いのです。いわゆる「西洋骨董」の人体像と、真性の芸術として制作された「彫刻」の人体像を区別することは、〈現実界〉だけで見れば区別できないのです。/比喩的に言い表せば、両方がブロンズで作られた人体像だった場合、二つの差異を見分け、「芸術彫刻」と「装飾立体」に区分けして見る指標を、〈現実界〉は持っていません。【*〈現実界〉という概念の使い方は、ラカンのそれとは異なった、彦坂氏独自の使い方をされているそうです。】
      • 「皇居美術館」の展示では、絵画・彫刻より、刀剣、陶器、工芸、着物、甲冑、面などに、充分のスペース・比重が置かれるべきです。