彦坂さん/41次元アート。過去ブログ・トピック/INDEX。2007/05/11 - 05/20 (004)。【途中迄】

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  • 2007/05/16 (Wed) 【出力・本】
  • 2007/05/14 (Mon) 【Affair and Practice】
  • 2007/05/13 (Sun) 【人生を二つに分ける】
  • 2007/05/12 (Sat) 【共同性の領域/5人組写真編集委員会の位相】...05/12 (Sat) 今回の「彦坂・新堀」チームでは、芸大の「鈴木隆史」さんが CG を作成してくれている。「コラボレ−ション = 協同制」という経験は、自分にとっては(カルチャー?)ショックで、建築界の人の協力作業の「良さ」「質の高さ」には驚かされている。/ふりかえると暗い過去が甦ってくる。/▲ 1972年頃に《5人組写真編集委員会》という、他人同士の表現をつなげる、コラボレーションの試みをした。その時「矢田卓」という写真家に「ゴミのような連中を組織して」と言われた。自分の考えとしては、多様な表現を組織化しようとするなら、否定されやすいような人を含めないと、多様性は生まれないと考えていた。
      • 池田昇一/伊藤久/鈴木完侍/彦坂尚嘉/矢野直一。...最初の5人組。ネット検索かけた結果では、鈴木氏(写真)以外は最近の活動記録は見つからない。


    • 例えばロックバンドの場合。すごいミュージシャンばかりの「スーパーバンド」は、結果的にみて良くないし、直ぐに解散してしまうものだ。椎名林檎の「東京事変」の第一期メンバーもそんな感じだ(「群青日和」「遭難」『教育』)。/良いバンドとは、二人位の正反対のタイプのミュージシャン。プラス、弱い才能の人々、という感じのものだ。判り易いのは「ビートルズ」。レノン、マッカートニーの二人が組んでいる時が最高だった。それにジョージ・ハリスンのギターの音色やシタールが幅を広げたし、映画やアニメーションの中ではリンゴ・スターが活躍している。こんな具合に個人の限界を越えた表現領域をとれるのが「バンド」なのである。
    • 「矢田卓」氏は、個人の優秀性へのあこがれが先にあるタイプで、多様な才能を組み合わせたバンド活動。つまりは社会を構成している「協同制」が産む「多様さ」を考える視点を持っていなかったのだろう。/▲ 美術史・美術館も、実は、多様な不純物、ゴミといってもいいような劣悪な表現をも含む形で形成されてゆく。ルーブル、英ナショナル・ギャラリーにびっくりするほど数多くの作品があり、大半がゴミに過ぎなくても、《超1流》の少数の作品が含まれることで、全体がコレクションとしての多様性を帯び「美術史」「美術館」となるのである。作品、作家の多様性を認めることは、「芸術」の社会化という点で重要なことだ。/▲ 《5人組写真編集委員会》は、悪口を言われたが、倍増した10人の編成で、「京都ビエンナーレ」『集団による美術』に呼ばれて注目され、『美術手帳 1973/10 号』にも記事が大きく載った。コラボレーションの組織化、個人主義の芸術観を越える新しい表現の模索だったのだ。
      • 池田昇一/伊藤久/鈴木完侍/柴田雅子 + 彦坂尚嘉 DUO/矢野直一/稲 憲一郎(美術)/高見沢文雄(美術)/堀浩哉(美術)/矢田卓(写真)/(故人)渡辺哲也(美術)。...「5人組+5」メンバー。「実務と実施」12人展メンバー。
    • こういった70年代の活動が、現在の「ア−トスタディーズ」での建築界の人々との連携、「よみがえる」というバンドでの連携、音楽と美術の総合パフォーマンス。ビデオ作成の「協同制」の追求と、継続しているのだ。
    • 「矢田卓」は、最初に会ったときに、私に「×」をつけた人だ。彼は、人と会うと「○」「×」をつけていた人だった。何故自分が「×」だったのかはわからないが、まあ、子供のように純粋な人とはいえた。おそらく自分の想像を超えた他者には「×」をつけて排除したのだろう。/その後、彼は事故で半身不随になった。私はとりあえずは健康に生きて還暦を迎えた。いつ死んでもおかしくはないが、「矢田卓」は自分の人生の中で出合った、子供の純粋性と、その刃をもった危うい人物の代表格である。/▲ 矢田氏は他者を排除するが、自分は排除しない。「芸術観」や「感性」の違う人とでも、協力することを追求する。「純粋」ではなく「不純主義」。「不純主義」が、芸術の「社会化」への視点を切り開く。
    • 「5人組 + 5」では、写真を交換し合って、他人の写真を重ねて、自作を作るという制作をした。他人の表現を全部消してはならない、というルールを皆で設けていた。しかし、一人だけ約束を破った美術家がいた。「堀浩哉(ほり・こうさい)」だった。/▲ 今となって振り返ると、堀氏はそもそもルールを認めない人であった。天上天下唯我独尊。自尊心が高く、万能感に止まり続けた。現時点の自分の考えでは「自閉」した人だった。そういえば、自縄自縛の、身動きできない「自我」写真という作品を撮っていた。身動きの出来ない故なのか、彼には何度も何度も約束を破られた。...まあ今はいい。問題点はこの二人に見られる「質」。美術界の8割に広がる「無・社会性」の問題なのだ。
    • 美術家には、独断的、ルール無視、社会性はもとより歴史性も持ち合わせない、唯我独尊というタイプが多い。実は、彼らは「我思う故に我有り」のデカルトの子孫、近代主義の末裔たちなのだ。/▲ 具体的には、「我」以外の他者の表現を、一切否定して消してしまうという、「無化」「タブラ・ラーサ(白紙還元)」という手法。「純粋主義」といってもいい。それは「民族浄化」のジェノサイドを引き起こす。「近代」の「白紙還元主義」「純化主義」というのは、極めて「暴力的」である。/「堀浩哉」は「タブラ・ラーサ」の人であり。自分「彦坂尚嘉」は。歴史・他人を消さない事を方法とする。自分は「反・近代主義者」である。近代の終る中で、近代主義者が骨董になりつつある。
    • 美術家と建築家の違い。それは本質においては「協同制」がとれるか、つまりは「社会性」「歴史性」の問題になるのだが、建築の人たちと付き合っていると、古い美術界の友人たちとの質の違いに、良い意味でショックを覚えるのである。/▲ 今、若い時の苦い体験を乗り越えて、素晴らしい体験をしているのだ。こういう時にこそ、身を引き締めて、「モラル」と「寛容」を確立しなければならない。/そもそも人間は努力しない限り「モラル」は守れないし「寛容」にもなれない。
    • 人生自体を、二つに区分することから始めるのだ。まず、自分だけで自閉して労働する領域。/もうひとつは、他人と、(ラカンによれば)不可能であるはずの連結を試みる領域である。そこではまず挨拶が重要になる。挨拶、礼儀、モラルの追及。/他者が自分より良い理由。それは自分よりはっきり見えるという点である。
  • 2007/05/12 (Sat) 【高岡健氏】...05/11 (Fri) 誤植発見。差し替え入稿。/精神科医の「高岡健」氏から『自閉症論の原点』(雲母書房)という自著をいただく。「内向性」「中向性」「外向性」について考えていたところだったのだ。/「やのまき」さんから、リスボン出展に「国際交流基金」から100万円の援助金が出ることが決まった、と朗報。「新堀学」氏から、15日の原稿作りを引き受けるとの電話をもらう。
    • 今回の「リスボン展」出展の話も、当初は予算が無くて中止にするという考えもあったのだが、自分の強い希望で進めていたのだ。「五十嵐太郎」さんの尽力で、ネットワークが作動して、「名古屋工業大学」の「北川啓介」さん、「平さん」「やのまき」さん、「ミリメーター(宮口明子、笠置秀紀)」のお二人、「新堀学」「鈴木隆史」さんたちの協力が得られてきた。さらに雑誌での活動で、雪だるま式に企画が大きくなっていく。なかなか素晴らしい連携。自分と五十嵐さんは20歳の年の開きがあるので、息子の世代と仕事をしている状態であり、刺激が大きく、根本的な思考の組み替えも要求される。/▲ 先日のライヴハウスでのパフォーマンスも、多くの人と繋がりながら展開していく仕事だった。その「呼吸」。つながる異質性を捉える方法が問題だといえる。/▲ 自分の作業史でいえば、1970年代始めの「5人組写真集」の時から、実は取り組んで来たことでもあった。/▲ ラカンの言う「人間同士の出会いの不可能性」を前提にすることで、異質なもの同士のジョイントが始めて可能になる。/「異質な者同士の連動」と「自閉した自分だけの作業」。/まず「異質な人間」を連動させる方法を編み出し、洗練を加える。基本は「モラル」と「信用」だろう。「モラル」こそが人と人を連動させる。/▲ 自閉している人をそのままに認める技術が必要だろう。「蛸壺」から無理に出さない。物を教えない。批判しない。お礼をする。つまらない作品も、固有の表現だなと許容する。寛容。不干渉。不干渉が重要だな。/とりあえずの結論は「モラル」と「不干渉」性を確立させること。