2009年06月 月間 見た聴いた読んだ (6月結)。

こむたん



  • 池田光弘 新作展『漂う濃度』。 @清澄白河「シュウゴアーツ(倉庫5F)」(-07/25)。
    • 北海道の原野キャンプの情景と奇怪な色合いの風景画。今回、横縞に見える風景画、抽象画みたいに見える風景が出て来たみたい。展開あまり大きくない。売値80万 〜 300万円。
    • 《Chats perche's(シャ・ペルシェ)》(2004) 58 min (13:08-14:06)。...原題“猫の止まり木”と訳せるらしい。猫は“ムッシュー・シャ”というキャラクター。
      • フランスの大統領選挙。イラク戦争反対デモ。いろいろな国の反体制の人たちのデモ。ワールドカップの騒ぎ。有名人の死など。...こういった出来事を地下鉄や街頭、テレビの映像を加工したもの等で写し出し、追いかける。壁にいたずら書きさてれいる黄色いチェシャ猫がだんだんシンボルの一旦を担う。


    • 《サン・ソレイユ(陽の光も無く)》(1982) 100 min (14:18-16:03)。
  • 010. ささらほうさら『三つ児の首っ枷』(19:30-20:54_¥1,500-) @国立「国立ラボ」。
    • 1. 松本萌「ラリ」。...ポロシャツにスカートの女の子が部屋の四方をいろいろな歩き方で歩行。延々歩いたあと、ドサッと倒れる。首を変な風にまげ顔が正面に向いている。後、いろいろな動きに展開。
    • 2. 安田理英「モノココロ」。...頭に花が咲いている、赤い頭陀袋を着た人物。床を転げて壁にビタッと張り付く。などなど。
    • 3. 大越歩「恙(つつが)」。...天井が明るくなる。下の暗い所にかがんでいる何者か。ふんどし。前掛けみたいな布一枚の服。日の丸みたいな赤い印のついた頭の年取った人物(?)。お寺のお経に乗せて舞う。
      • 「ささらほうさら」久しぶりのソロ・オムニバス公演。松本萌「ラリ」。安田理英「モノココロ」。大越歩「恙(つつが)」。◆「舞踏」を評したのではないが、ある現代美術作家・批評家の「文明を模倣しつつ野蛮に退いて見得をきって嘲笑う」岡本太郎細江英公あたりは良くない、という言葉があたまに引っかかってみた。だが、日本や韓国、アイルランドなど、野蛮が生き残っている地域の創造性の高さというのも確かに認められるのだ。「土方巽」はスタニスラフスキー・システムを独自に研究していたという証言もある。はたして「舞踏」は「露悪的」に「野蛮」を押しだしているのか、高度な創造性の土台にしているのか。「麿赤兒」はどういう位置どりなのだろうか。/◆ 松本萌さん。普段の格好より平凡なスタイルで舞台にあがる、という戦略(顔は白いのだが)。日常と地続きの発想を濃く残しているんだろう。客観性があり、手順を追って作られているという感じ。/◆ 安田さん。全身で螳螂虫みたいになったり、ひょうきんな顔を作ったりというスタイルが無くなって、ギクシャクした激しい動き。明らかに足腰の筋肉がついてがっしりした体型に変わった。音楽は車の走行音かなにかの無機質なループ。/◆ 大越さん。この方だけ素顔を知らない。どんな顔なのか見当もつかない。舞台は天井から明るくなるという凝ったもの。風体が異様で目を奪われてしまう。どまんなか打ち込みキターという感じか。やはり足腰は太くなっている。
  • 009. 浅草ロック座25周年特別興行 第1弾 (...15:35-16:20/16:30-17:32_¥8,000-)。 @田原町・浅草「浅草ロック座」。
      • 「第一部」...着物と和太鼓。
    • (1景. 加瀬あゆむ(沙羅/月川/エミリ/くろまめ/華媚/ミンミン))見落とし。
    • 2景. 月川ひとみ(伊沢/沙羅/桜庭/空)(最後部 紫系のベールの「ベッド」のみ)
    • 3景. 光矢れん(エミリ/くろまめ)(長いピンクのケープだけ纏って、古典バレエの技術で踊る。バランスが難しいだろうポージング。軽業に近いものを感じる。)
    • 4景. 沙羅(伊沢/加瀬/桜庭/月川)(4人の腰元を従えた若侍から姫に。髪飾りが大きい姫君)
    • 5景. 伊沢千夏(加瀬/エミリ/くろまめ【人形使い】/華媚/ミンミン)(人形が人間の女になって、人形使いに迫るが、逃げられてしまう、という展開。良く出来ている。衣装も本格的。)★
      • 「第二部」...夢の中。寄宿舎のベッドに寝ている。男の子たちがトランポリンごっこ。フレンチカンカンの女たちが夢の中に導く、という導入。
    • 1景. 桜庭彩(小向/沙羅/空/光矢/エミリ/くろまめ/華媚/ミンミン/シュウ/ミノ/クニ)(ベッドの下から出てきたツインテールの女の子)
    • 2景. 小向美奈子(沙羅/華媚/ミンミン/シュウ/ミノ/クニ)(小向が新入生としてやってきた教室。同級生男子が騒然。先生に誘惑され、服を剥ぎ取られて、補助されながらポールダンスへ)
    • 3景. 空まこと(小向/月川/光矢/ミンミン/シュウ/ミノ/クニ)(クラブに集まったダンス自慢の女の子たち。テーブルの上のダブルポール。銀のハットの空さん)★
    • 4景. 加瀬あゆむ/光矢れん(小向/伊沢/シュウ)(豪華なダブルショー。ほっそりして脚の長い二人)
    • 5景. 小向美奈子(桜庭/空/華媚/ミンミン/シュウ/ミノ/クニ)(銀のボディコンを剥ぎ取られ、下着に。赤い大きなグニャグニャしたソファの上で胸を見せる)
    • 6景. フィナーレ(全員)(フレンチカンカンの女たちが導入。皆、黒いラメ、網網の衣装で。小向さんだけ頭に豪華な羽根つき)。
      • 二部構成。一日4回公演。一回の長さは休憩含む約150分。ポラとか不確定要素が無いので、時間進行はピッタリ。/6月下旬の平日三回目。客席は、席の増設があるものの、少し立ち見がでる位の満員。女性客も散見。
      • 以下私見。前半は和太鼓に着物の時代もの(冒頭部分は見落としたので推測です)。後半は寄宿舎の女の子の夢想という枠組で進行していると思う。/おなじみのアクロバットダンサー「華媚」さんの顔も見える。今回初めて男性アクロバットダンサー数人のサポートがある。おそらく小向さんの補助、カモフラージュ的な意図か。/赤いチョッキ(?)の狂言回し的な進行役を作るなど、分厚くショーアップされている。音楽も出来合いのものをつなぎ合わせているだけではないような。シンセのドッカンドッカンする感じは「ザ・ガジラ」の効果音みたいで苦笑だが。/ライティングも、第一部後半は地明かりが縞々になっているようなところに、強くライトを踊り子さんに当ててヌードを浮かび上がらせるというスタイルを取っていた。
      • 第一部 第五景(第一部の最後・休憩前)の、豪華な着物の操り人形(伊沢千夏)が、人間の女になってあやつり師(くろまめ)にせまるが、男が凍りつく、というシーン。人形としての踊り、舞台の使い方、照明含め良かった。/第二部 第三景「空まこと」景。あるクラブで、ダンスフリークの二人二組のお洒落した女の子が、少しづつ踊って競い合う場面。この妍を競うような感じ、グッと来ませんか。非常にいいんじゃないか。「空まこと・月川ひとみ」「光矢れん・小向美奈子」。小向さん以外の3人が、今回の座組み・香盤の中で、ひとつでもダンスの高度な技術を身につけているダンサーではないか。銀の帽子の「空」さん、ソウルのデュエット・ナンバーにのってゆったり展開。ひとりだけ後乗り、秒殺的な動作。/全体的に踊り子さんが楽しそうなのも良い。特に「光矢れん」さん、第一部 第三景の幕引きのしぐさが良かった。
      • 話題の「小向美奈子」さんは、まだ全然体が絞れていない。体の厚みは無いが、横幅があるタイプ。色白膨張色。おなかと腿、お尻にすこし贅肉があって、ウォーキングでも中心線が揺いで、グラグラ、ユッサユッサ感あり。トランポリンのシーンはヤバゲです。ドリフのコントに限りなく接近。無いほうがよかったんでないの。


  • 彦坂尚嘉ほか #22「ラカンと美術読書会」《無意識の形成物》(父性隠喩 2./3.)+ 谷川渥ほか『20世紀の美術と思想』...フロイト/ラカン/李禹煥/彦坂尚嘉 (実際にはラカンのページのコピーを読んだだけ)(18:50-19:36/-21:30_¥110-)。 @池袋「立教大学 池袋キャンパス 6号館」。 
    • 「父性」は、日本では弱い。日本人に「父性」のことはわからない、というのは、ローマ、中国といった帝国の支配を受けていないから。野蛮が文明で抑圧され尽くしていない。アイルランドの様に、ケルト=縄文的なものが生き残っている。ジプシーのフラメンコのもっている闇のようなものが残っている。
    • ポルトガルの巨石文明。大勢の人間の力を結集させるものが「父の名」。「反復」「固定」させ、あるがままの自然を抑圧して、変化しない、当事者が死んでも残るものを作り出す。自分を乗り越える力。この残るものを作り出すのが「芸術」。
    • 必ず一致する訳ではないが、「神」=「父の名」。フロイトは科学者だから、科学は「神」とは言わない。
    • 「神」=「書きことば」。天体観測をして、暦を作り、ナイルの氾濫を予告する。氾濫の跡の肥沃な泥を四角く区切って耕作させる。ここでは支配者の書きことばによる記録が権力。人間を動かして文明を作る。
    • 「父の名」が抑圧するのは、「セックス」ではなく、感情のまま、ありのままに生きること。禁止して幕の前でシャットアウトし、身を投げ出させる。直接性を生きさせない。我慢させる。変わりのものに置き換えて生きさせる。それが「シニファイン連鎖」。「父」が最初の疎外。「父」は禁止しかしない。説明しない。
    • 中華帝国」の近年に至るまでの虐殺、抑圧を見る。日本は文明の中に入っていない。「織田信長」は文明的と言える。野蛮と文明の接点という点で、日本とアイルランドは似たクリエイティビティを持っている。
    • 韓国にいったらトーテムポールのようなものが沢山たっていた。/「岡本太郎」。文明を模倣しつつ野蛮に退いて見得を切ってあざ笑う。「篠原有司男」、「細江英公」も似た感じ。
    • 「白髪一雄」問題。「吉原治良」ノート。かなり早い段階で、ポロックら、アメリカの抽象表現主義を学んで評価していた。1951年のポロック絵画の東京大阪展示を見ている。これは自分が発見した事実だ。白髪一雄ら「ゼロ会」の作家を1953年に取り込んで、1954年「具体」結成。「アンフォルメル」のフランスの美術評論家マチューの評価に乗っかってオリジナルを自称するが、アメリカ現代美術の模倣でしかない。「建畠晢」さんとも激しい論争になった。
    • ただし、1951年の段階でポロックを評価できているのは慧眼。フランスがベトナムでアジアの覇権を失うのと同時期に、アメリカ美術がフランス現代美術を乗り越えた。


    • 「アースワーク」と「もの派」の関係も同じで、「もの派」は盗作・模倣のオンパレード。イタリアの「アルテ・ポーヴェラ」の連中は、自分達の影響下にあるということで高い評価を与えている。ヤニス・クネリス、セラ、フォンタナ、郭仁植、韓国の書道運動。先行作家の模倣で成り立っている。



    • アメリカの美術界は事実を厳密に追求するから、国民からの尊敬もある。日本では世俗的な人間関係を断ち切れず、真贋さえはっきり言えない。学術的な研究のレベルが低い。立ち遅れがはっきりしている。「父の名」が弱いから。
    • 想像界」:呪術の時代。「象徴界」:農業の革命・書き文字=神。教典、聖典。「現実界」:産業革命・物理数学。数式。「サントーム(第4の輪)」:情報革命。...「数学」の欠陥が明らかに。ポスト・ゲノム。/規律社会から管理社会へ。おまわりがやさしくなった。内面の規律に訴えかけない。来なくてもいいけど、どうなっても知らないよ、というふうに。
    • 古代ギリシャ、中国では、絵画・彫刻は芸術ではなかった。18世紀に絵画芸術が成立。現代では「私性」のあるものを芸術と(自分は)呼んでいる。B級グルメのラーメンにも芸術性がある、という風に。「形式性」が無くなる。
    • 「一点透視図法の神話」。...実際の絵を見ると、美術史上重要な作品は、透視図法で描かれていない。レオナルド・ダ・ヴィンチ。ジョルジョーネ。マネ。《モナリザ》の背景の風景はつぎはぎ。ダ・ヴィンチは透視画法の開発に加わったが、画法としては自分で使っていない。マネの絵にも消失点が沢山ある。西洋の絵画には「コラージュ絵画」が多い。マンテーニャ《死せるキリスト》は、『源氏物語絵巻』のような「逆遠近法」で描かれている。「西洋絵画は遠近法で描かれている」云々というのは「通俗論」に過ぎない。/「透視図法」で描かれた、ラファエロの絵の安っぽさ。テッィアーノ、フェルメールらは、手が入るように空間が描けていない。人物の後ろの壁と床がつながらない。人気は高いが下手な絵描きだ。
    • 【アルコールも少しはいって論争モードになってしまう】...東洋では5世紀に透視画法が成立していた。西洋では15世紀。1,000年の差がある。油絵だって、うるし絵を見たファン・エイクが模倣したのが始まり。画家は自分だったらどういう手順で描くか考える。学芸員は本を読んでいるだけ。/中西夏之さんはフランスにいったとき「ルーブル美術館」に行かなかった。「阿修羅展」だって現代作家のいったい誰がいったか。みんな本心では「芸術」が嫌いなんだ。
  • 「エコエコプロジェクト Vol.2 〜 手のひら彫刻編」。 @清澄白河「深川ラボ」。
    • 小口崇志(アニメキャラ風レリーフ)/兼藤忍(溶岩肌オブジェ)/川上和歌子(インコ・クッション)/木下奈緒美(小さい女性下着モビール)/白濱雅也(木彫「豆男」シリーズ)/田中哲也(鉄と試験管)/中村正(動物の頭部シリーズ)/蜂谷和郎(彩色木彫)/山本藍子(豚の像・仮面)/くわナよしゆき(木製グッズ) ほか。
  • 蜂谷和郎「花とおじさん」展。 @清澄白河「深川いっぷく」。...「手のひら彫刻展」と連動。
  • 川尾朋子・河村陽介・三友周太によるインスタレーション「THREAD」。 @浅草橋「マキイマサル・ファインアーツ」。
  • 「やまと絵の譜 〜 日本の美・発見 2」展。 @有楽町「出光美術館」。※帝劇のビル9F。
    • 岩佐又兵衛/菱川師宣/英一蝶。展示に、この三者の巻物を並べた箇所があり、非常に面白かった。特に「岩佐又兵衛」。恐るべし。画面構成とか描線が半端じゃない。「源氏物語」から題材を採った『野々宮』という掛け軸が展示されていて、鑑賞画として独立した、というのは実感としてわかる。
  • 008. 捨組 ESPRESSO『それなりにカップチーノ』(14:30-16:24_¥1,200-) @郡山「創空間 富や蔵」。※富や蔵演劇祭 三週目。
    • ネタを振って全部回収するという意味ではウェルメイドの、感覚も内容も若い?(遊戯的な?)劇。地方都市の演劇というと、「職場演劇」の生き残りの様な物を想像してしまうし、実際あるのだが(ご都合主義化が激しいメロドラマとして)、このようなタイプの演劇もちゃんとあることに驚く(秋田、山形には無いのだが)。ちなみに作・演出の本職は商業デザイナー。そんなにしつこく書いても意味ないんだろうが、今回はニヒルな内容だったにもかかわらず、あっけらかんとしたセンスで最後まで。露悪的ではない。...たまたまトラック3台で到着、郡山初乗りの「どくんご」メンバーと一緒に見る。福島小劇場界が誇るダイナマイツ姐さん「加藤裕美」さんと美女「神永真紀」さんが出ている。ただ、独特なしつこい(脱力系)コミックリリーフが私の知る限り二人はいるのだが(古関崇浩さん、遠藤佑紀さん)その人たちは芝居に出て居なかった(涙・残念。