佐々木昭一郎第二次資料。
放送批評。日本リアリズム論争の別分野への飛び火。変質を続けるリアリズム。
初出:社団法人シナリオ作家協会(東京都港区赤坂)『シナリオ』12月号。第27巻第12号(1971)。昭和46年12月1日発行 (P.20 - P.23)。
特集「乱世のシナリオ講座6・“脱ドラマ”臨床学」。
『テレビにおけるドキュメンタリー総点検』/『テレビにおける“脱ドラマ”総点検』
- 和田矩衛(わだ・のりえ)。55歳
“脱”ドラマ騒ぎのおきるはるか前から、ドラマドラマしたドラマでは処しきれない何かを表現しようという試みは数多くなされていた。セミ・ドキュメンタリ・タッチといわれた一連の映画の作り方にもそれがある。それはドラマの否定というよりは、みつめなければならない真実をより深くみつめようという姿勢から生まれたものであった。一方実写ということから出発したドキュメンタリの方でも、実写必ずしも真ならずということがわかってき、事実のなかにある真実をつかみだすための事実の再構成ということが考えられだした。ロバート・フラハティの『アラン』はすぐれたドキュメンタリであったが、同時にそこにはすばらしいドラマがあった。だが描こうとする真実のために事実を再構成して行くことが日常化して行くと、そこには大きな問題が生まれる。ヤコペッティの一連の作品は何げなくみる観客には事実のドキュメンタリとみえても、そのほとんどが再現されたものであり、時には事実をもとにしてヤコペッティが想像した通りに演出されたものである。形式的にはドキュメンタリでも、精神的にはこれはドラマというべきだろう。このヤコペッティの“ドキュメンタリ”の作り方を再現してみせた劇映画も現れた。この作品などをみていると、後半ではドラマというよりドキュメンタリのような形になってくるのが皮肉であった。
テレビの世界では最初のころは同時放送ということもあって、スタジオで演じられているドラマという事実と、それをブラウン管サイズに捨象されて伝達される映像というものの半記録性ともいうべき要素のふしぎなミックスから、社会性のあるドラマには一種のドキュメンタリズムが混在していた。そこからテレビの新しいドラマトゥルギィが生まれるかという期待をもたれた時期があった。しかし、テレビドラマがヴィデオテープの発達とフィルムの転用が日常化するにつけ、手法の上でも内容の点でも映画の最も安直な道を追うようになった。そうした卑劣さがテレビの本質であるといったような、一見居直りのカッコよさとさえいえそうな意見もでてきて、そんなところから、その程度のドラマの骨格なら、タテの柱を一本横にしてみるのも面白いのじゃないか。そこから何かが生まれてくるのではなかろうか、といった着想が生まれた。そうでもしなければ、座付作者に徹しきっているものでもない限り、とても素面ではドラマなど作っていられないという環境になってきたことにも拍車をかけた。
以前は東京以外の大阪、名古屋その他のセミキイ局でもかなりドラマを作っていたが、大阪はまだやっているものの、名古屋では非常に作りにくくなり、まして札幌、福岡、広島などではほんの時にまれにしか作れなくなった。ましてそれ以下の地方局ではドラマなど思いも及ばない。しかし、映像でモノを作り、映像を通してモノをみつめている以上、そこにドラマの着想、ドラマ的観点からの分析が出てこない筈がない。東京の局が制作切り離し政策を強め、ドラマの下請け受注はもちろんのこと、ドキュメンタリや教養番組までプロダクションに下請けさせたり、系列下地方局に分担させたりするようになり、地方局での制作数がふえてくるにつけ、ドキュメンタリでモノを考える地方局の制作スタッフのなかに、ドラマ指向或いはドラマタイぜーションの限界との真剣な対決が生まれてきたのは当然といえよう。
広島テレビの作った『碑(いしぶみ)』(松山善三構成、杉原萌演出)は、日本テレビ史の上での大きな作品と思うが、いまこの作品の評価はひとまずおいて、これがドラマかドキュメンタリかは発表二年後のいまでも意見がわかれている。この作品は45年度の芸術祭のテレビドラマ部門に出された。ドラマ部門に出すか、ドキュメンタリ部門に出すかに局自身も大いに迷った作品である。結局ドラマ部門に出したのは、松山善三の書いた本の第一行に、一人の老婆がいて語りだす、というのがあり、そこからは彼女のナレーションで、被曝で全滅した広島の中学生の手紙や写真で画面を構成する、その老婆というのに杉村春子が選ばれているからであった。この場合、杉村春子が老婆に扮している、という考え方をすれば、俳優が俳優本人と違うキャラクターを演じているからドラマだ、という素朴な考え方に従ったことになる。しかし実際の作品でみた限りでは、杉村自身広島の出身であり、むしろ一人の老婆というより、やや老境に入ってきた杉村春子自身が、女優としてこれまで鍛えあげてきた技術を踏まえた上で、それを彼女自身のなかに抑えてナレーターのパートで全力投球した、というべきものだった。もし脚本の初に老婆などと書かずにナレーターとだけにしておいたら、誰もこの作品をドラマか、ドキュメンタリかなどと問題にしなかっただろう。
ところでその翌年の芸術祭でRKB毎日が『苦海浄土』という作品を発表した。この作品は石牟礼道子の同名の本を原本にして、それから彼女にドキュメンタリ用の脚本を書いてもらい作ったものである。このなかで一人の巡礼老婆が犠牲者の生活の間を歩き廻る話がある。これはやらせるより他ない。だがへたにやらせるとかえってウソになる。そこで北林谷栄に巡礼に扮してもらってこのパートをやってもらうことになった。これは明らかに扮するわけで、RKB毎日も作品全体はドキュメンタリとして作っているだけに困った。しかし、この作品はドキュメンタリとして芸術祭に提出され、その年の大賞をえた。この作品の場合ドキュメンタリのヤラセということに大きな示唆をなげかけたし、個性が強く日頃ドラマや何かで接している人たちからみれば、一見して本人とわかる北林谷栄の起用ということも問題になった。
この二つの作品をここにもちだしたのは、ドラマとドキュメンタリとの間の区別というものは、本当にそんなに明確にあるのだろうか、ということをいいたかったからである。高名な俳優に扮させて出させるからドキュメンタリでない、といったら、かつてTBSで伴淳三郎を乞食に扮させて、数寄屋橋に坐らせ、町を通る人の反応を隠しカメラでとったものが評判になった。一人もそれを見抜くものがなかったので、あたりまえの乞食に頼んで撮らせてもらうより、通行人のリアクションが撮りやすく、はるかに作者のねらっていた真実が摑めたからである。『苦海浄土』の場合もこの延長と考えれば、それほど問題にならないわけだし、現地で北林谷栄とみぬかれなかったからこそ、作家の欲しいショットが撮れたわけである。
しかしこの二つをみて、何れも個性の強い女優でありながら、演じている女優という点では私には北林谷栄の方が強く感じられ、ドラマとして扱われた杉村春子の方がもっとまっすぐにドキュメンタリのなかにとけこんでいた。これは『苦海浄土』の演出者木村栄文のせいではなく、杉村と北林の芸質の違いであり、その課せられたパートが作品のなかでしめる位置による違いからくるものと思われる。
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- 1970/11/14 (Sat.) (16:00)TBS『苦海浄土』。
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数年前NHKの海外秀作シリーズでイギリスのBBC制作の『さすらいのキャシー』というドラマが紹介された。貧しい若者が結婚したが家がない。子供ができると今まで住んでいたところを追いだされ、どんどん転落して行くというシテュエーションである。この意味ではこれは明らかにドラマである。脚本もその過程をドラマティックに構成してあり、男にはレイ・ブルックスが、女にはその後スタアになったキャロル・ホワイトが扮し、監督はケネス・ローチであった。ところがこの秀作ドラマをみて、私が最も感心したのは、この作品が全くのドキュメンタリ・タッチで演出されていることだった。風景にしても、建物にしても、登場人物の肉体的プロフィルにしても、である。オール・ロケーションということはあったにしても、それは正にいまドラマのなかにある二人の主人公が、あがけばあがくほど落ちこんで行く姿を、じかにその場で私たちがみているようなアクチュアリティがあった。監督のローチがドキュメンタリスト出身であることによるかも知れないが、これは一つの驚きであった。
ところで、この作品との対比で一つの例をあげてみよう。それはこれも芸術祭で東海テレビが作ったドキュメンタリで、四日市の公害患者の家が日本を脱出してブラジルに移民するというものであった。この作品は撮り始めて事実を追って行っているうちに、日本脱出が公害だけでなく、複雑な家庭関係が大いに原因になってきていることがわかり、制作者はかなり困惑した。この作品もオール・ロケで、その人の家のなかにカメラをもちこんでいる。しかし面白いことにその家を撮る構図(アングル・ライティング)が全くドラマのそれである。そのため、ドキュメンタリのハプニングであるより、複雑な人間関係を推理的に追いつめて行くサスペンス・ドラマのような作品になってしまった。演出は岡本愛彦であったが『さすらいのキャシー』とは全く逆な印象を結果として生みだしてしまったのである。
この同じ東海テレビで、岡本作品と同じ四日市の磯津地区を中心に『あやまち』という秀れたドキュメンタリが生まれた。この作品は東京では系列のキー局であるフジテレビが嫌ってオン・エアしないためみられていない。この作品を作ったのは大西文一郎というディレクターと中島洋というキャメラマンで、彼ら二人を現場の尖兵として、東海テレビの報道部制作部の背後の一致した協力から生まれた作品といってよい。美しい画面と、綿密に計算された場面の選択があり、ドキュメンタリとして稀にみる完成された作品の一つとなった。この作品では石垣りんという五十才あまりの女流詩人の詩がナレーションの代りに流れる。それが作品を一層完成させたものにみせ、映画詩のような効果をあげていた。撮影時のショットはもちろん予定しなかったものがあったことは十分窺われ、またそういう場合に適確にそのショットのファクツを真実にまで昇華させて捕えたスタッフの、日頃の眼の確かさにさらに感心した。ここで私がこの作品をもちだしたのは、本来ハプニングが当然のことと約束されるドキュメンタリにも、こうした設計図で引いたように整った作品が生まれるということをいいたかったからである。
この11月13日の22時10分からNHKの「長時間ドラマ」わくで『さすらい』というのがオン・エアされる。これは孤児院を出て、東京に集団就職した十五才の少年が、肉親のイメージを求めて、次々にさまざまは他人の間をさすらう姿を追い、人間が生きてゆく上で〈他者〉とは何かと考える「セミ・ドキュメンタリ・ドラマ」ということである。このドラマは台本なし、出演者はしろうとばかりで作られる。このドラマの企画演出者佐々木昭一郎は、昨年同じような台本なし、素人ばかりの『マザー』という作品をつくり、70年度モンテカルロ国際テレビ祭で最高賞をとっている。ドラマと称しながら全編台本なし、ということは、全くそのときのハプニング性のなかに作者のテーマを放りこむということで、勢い作品のタッチはドキュメンタリになる。しかし『マザー』でみた限りはポエティック・ドラマという感じが強かった。台本がいらないとなると、本誌の読者には恐慌を来すであろうが、ここに一つのドラマというものに対する考え方と、方法論の展開があることは確かである。
このように台本を初めからこしらえないというのではなく、或程度の台本をこしらえ、それをもとに現地取材し、その反応を追ってさらにシークエンスを設定して行ってドキュメンタリ・ドラマに作りあげて行ったものに橋本忍脚本の『ナタを追え』がある。これは俳優は全く無名かそれに近い人々を使い、迷宮入りの巡査殺しの現地で再現と、現時点でのきき出しをドラマ化したもので、新しい手法のドラマであった。
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- 1970/11/28 (Sat.) (22:00)NHK『ナタを追え』。小谷真弘・演出。
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毎日放送が作った『てれびじょん69』というドラマは、テレビの機能と影響力というもの自体をテレビ化したもので、早坂暁脚本、池田徹朗演出は、大阪の大団地にキャメラをもちこんで実験を試みていた。この場合は結果だけでいえばセミ・ドキュメンタリ・ドラマの域を出なかったが、ここから発展させて行くべき問題は一度詳細に分析してみる必要があろう。
熊本放送で作った『111 〜 奇病11年のいま』というドキュメンタリは徳山博之作品で、チッソの公害を扱ったもので、ヒューマン・ドキュメンタリとして、日本のテレビ史に残る作品の一つと考える。この作品で感心したのは加害者、被害者双方の人間が実に深い点で捕えていることで、公害というものが人間の深部の問題であることが表現されていた。これは作者の人間をみる眼の確かさが生んだもので、同じ人がインドの救癩センターを撮った正味25分ぐらいの、そう大きくない作品のながでも、患者の老人をとったショットに実に深いものを掴んでいた。
ヒューマン・ドキュメンタリで昨年、森川時久が発表した『母と地球』シリーズの第一編『アウシュヴィッツの記憶』もすばらしいもので、こういう作品をみていると作品というものは底の方ではドラマというもの──人間葛藤を通じて人間の真実をつかみとるもので、ドラマだドキュメンタリだといったジャンルの上での区別などは、必要ない、といいたくさえなる。
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- 1970/10/11 (Sun.) (11:00)フジ『母と地球』#02「アウシュビッツの記憶」。
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ドラマというものは、追っても追ってもつきないもので、これまでのドラマでは取残すものが、という焦りはわかるが、一面からいえば、それはまだ本当にドラマというものを作る側が掴んでいないからではないか、という気もする。
文字や文章ではつかみきれない、逃げ去ってしまうという焦りが、十代の私を映画の世界にかりたてたが、それから何十年たったいま、文字や文章の怖ろしさが益々増大し、その後歩き回った映画、演劇から、その他もろもろが、取り組み始めたときには想像だにできない怖ろしいものであると思うようになってきた。
“脱”ドラマということは、本当にドラマをみすいたところからきているのだろうか。
既成ドラマのみを対象とする安易な批判、既成ドラマの属している世界に対する簡便な反逆から大きく“脱”けていないのではないか。そして“脱”という観念から、うっかりすると本当のものも「脱」けてしまうのではないか。
ドラマとドキュメンタリの問題を考え、その方法の展開のなかにあって、掴み、苦しんでいる人たちの作品をみてきているうち、私自身の問題としても、これはもっと本式にとりくむ必要があると思っている。
〈映画評論家〉
- 『シナリオ』誌は校閲が大甘なので、このように目次と記事の本題の題名が違うという事態が起きている。
- 『“脱”ドラマ』といえは評判作の『お荷物小荷物』の脚本家「佐々木守」に登場してもらうほうがすっきりすると思うのだがこの号には本人は書いていない。
- 肝心の佐々木昭一郎については、前作を見ての次回作の告知という形になっている。
- 記事内では作品の目配りが広いようだが、『あやまち』は、通常のドキュメンタリーである。石垣りんの構成詩による作品とのことだが、戦前のイギリスにW・H・オーデンの詩を使った短編ドキュメンタリーがある。
- フジの『母と地球』シリーズは、記事の趣旨からみれば、五社英雄演出のものも取り上げるべきではなかったか。
- セミドキュメンタリーのスタイルは50年代から存在するのだが、おいおい明らかになるだろう。
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- ロバート・フラハティ Robert Joseph Flaherty (1884-1951)。ドキュメンタリー映画の父。毛皮商・鉱山技師だった。現地に住み着いて撮影する方法を取る。《北極のナヌーク》が第一作。海上を行くボートの描写、水中の中の生きものの描写が特徴的。
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- 《アラン》(1934)。フラハティの代表作。
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- 松山善三 (1925)。神戸生まれ。岩手医専中退。1948年松竹大船撮影所入り。助監督部から脚本部に。「赤八会」。1955年高峰秀子と結婚。初期代表作『荒城の月』(1954)『遠い雲』(1955)『あなた買います』(1956)『人間の条件』5部作(1959-1961)。『人間の証明』(1977)。監督作『名もなく貧しく美しく』(1961)『ふたりのイーダ』(1977)『典子は今』(1981)。テレビドラマ多数。
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- レイ・ブルックス Ray Brooks。英国の俳優。詳細不詳。
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- キャロル・ホワイト Carol White (1944-1991)。英国の俳優。《さすらいのキャシー》《夜空に星のあるように》など。
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- 『川崎・四日市 君も死臭のなかにいる』。岡本愛彦の編著書。
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- 大西文一郎。東海テレビ取締役。東海テレビプロダクション社長歴任。九条の会メンバー。
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- 中島洋。東海テレビ報道部スタッフ。詳細不詳。
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- 池田徹朗。大阪MBSのディレクター。詳細不詳。
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- 徳山博之。熊本放送局員。詳細不詳。