2008年 第01週。【支:¥4,730-】【応接間片付け。アマゾンやヤフオク、想定内に。/発熱、歯痛、首の凝り、ヘルペス合併症状。/韓国民謡で良いのか。】

ロッカク


01/02 (Wed) 悪寒で昼から寝る。口腔内の透き通った粘液が取れない。/01/04 (Fri) 11:00 某医院。注射、他¥3,550-。主治医ブリッ子に苦笑。午後寝ている。CX『のだめカンタービレ 〜 ヨーロッパ編』。母親にこのドラマは何なんだと聞かれる。主役の女の子のイラッとさせられる喋り方。自分の年賀状と、捻挫で手が効かない母親の懸賞葉書書く。/01/05 (Sat) 結局、売薬の「ナロンエース」でピタッと頭痛治まる。下顎の歯の違和感を感じる部分が変わる。

北海道の選挙区の話。よさこい帝王「長谷川岳」さんいよいよ政治家だぴゃー。/台湾。ラップで選挙応援パフォーマンスする「謝志偉」という人物。ドイツ文学者で新聞局長という官僚(?)らしい。/12/27 (Thu) パキスタンのブット元首相、選挙演説中に銃撃&自爆テロで死亡。/林真理子面変わり(ひょっとして前からか)。/01/05 (Sat) 戸越銀座の高2通り魔。両手に包丁三本(?)。刺さずに斬り付け。

「食」三越本店向い。島根県アンテナショップ隣り「主水(もんど)」。穴子白焼きガイナ丼。郷土料理は西の方が良いと思う。材料の取合わせの深み。穴子丼にいろいろな薬味や具が入っていて黒い酸っぱいタレをかけて食べる。

「仙台細見」12/25 (Tue) 仙台駅に接した「ホテルメトロポリタン仙台」。ダイナーの「セレニティ」で社員が持ち帰りケーキを頼んだら、全然注文を聞いていなくて出鱈目な種類を入れられたそうだ。

「仙台事務所日誌」12/27 (Thu) 仕事納め。新年から組織の配置若干変わる。従来は昼過ぎに終わっていたんだけど、知らぬ間に、定時までいて「終礼」ということになってた。

「放送メディア(仙台/首都圏)」昼メロ女優「奥田恵梨華」さん。/ゲオルグ・クリストフ・ヴァーゲンザイル。モーツァルトの同時代ウィーンの作曲家。〈ハープ、二つのヴァイオリン、チェロのための協奏曲〉。

12/29 (Fri) ラッパー宇多丸「劇場版米アニメ《シンプソンズ》問題」オリジナル声優差替え事件。有名タレントの発言に反発。配給数少なく興行失敗。...後日、TBS 映画ライター町山智浩レポ。保守プロパガンダ放送網フォックスと《シンプソンズ》スタッフの諷刺表現。局との検閲合戦。アニメが鼻を明かした。劇場版はさほどアクティブな内容ではないとか。/群馬の富岡、高崎の官営紡績工場時代の産業遺産。「高崎新町紡績所」「北側天窓鋸屋根」。北からの採光は色が安定して見えると考えられていた。

12/29 (Fri) NHKユーミンフィルムズ』...第一話。『リフレインが叫んでる』本仮屋ユイカほか。...第二話。『バイバイベアー 〜 青いエアメイル』多部未華子於保佐代子ほか。甲斐さやか脚本監督。...第三話。『新年好! 〜 ア・ハッピー・ニュー・イヤー』塚本高史チェン・チュー、原金太郎ほか。渡辺賢一脚本監督。...多部さんの横から見た顎の形が素晴らしいですね。/NHK『笑謝和』...ナギプロパーティーすわ親治清水宏寒空はだかオオタスセリ、山本光洋。おなじみの面子。

年末年始番組。新聞組み。長時間でびっちりの活字に辟易。再放送と焼き直しが多い。結局『電脳コイル』見逃す。アニメだが。/TBS『ゴールドラッシュ2008 〜 イロモネアの夜明け』...キャン×キャンあべこうじ、TKO、大西ライオンエド・はるみcowcow。/あんべ光俊さん仙台141ライブ。転んで歯を折ったとかでマスクに切り込みを入れて声がマイクで拾えるようにして登場したらしい。ジャンティンさんから噂で聴く。

「絵」ロッカクアヤコ展 @五反田「ギャルリー・テオ」。劇団四季の〈キャッツ・シアター〉の入り口が見える路地。五反田団の「アトリエ・ヘリコプター」も近い。...段ボールやカンバスに指で彩画。構成された広告イラストにどこか似ている。キャラクターの出て来る絵画。幼児の絵画の模写。色の重ね、形の消し方、切り方は複雑だが感覚的でドンピシャ。マチス的。

「片付け中に見つけたもの」岩波新書。現代美術。「壁」崩壊後に西側の目に晒された旧東独の具象絵画を熱心に取り上げたもの。/「劉天華」と「宮城道雄」についてのパンフ。

  • 2002「フィジカルシアターフェス」のパンフより。清水信臣「『常識』の行方」...土方巽は次のように発言している。「しかし私がこの春先の泥から教わったことは、神社仏閣の芸能と無縁のところから私の舞踏は始まったんだ、ということ。それは断言してもいいんじゃないか、と思うんです。」。つまり土方は、「舞踏」は「神社仏閣の芸能」、すなわち共同体のものではない、といっているのである。さらに重要なことは、そのことを「自己」の内からではなく、「春先の泥」という「他者」から告げられていると語っていることだ。...清水さんの構想にすっぽり納まるかどうかはまた違う話だが。たとえば、共同体が芸能を生み出した訳ではないし、「春先の泥」が「他者」というのは、清水論のミソなんだろうけど、「春先の泥」とはまたずいぶん情緒的で水っぽい。「他者」というより「自然」だべか。