2009年06月 月間 見た聴いた読んだ (6月中)。

かうがーる



  • 007. 劇団どくんご『ただちに犬 Deluxe』東京公演二日目(19:01-21:17_¥2,500-) @西日暮里「諏訪神社・境内・特設テント劇場」。
    • 演奏はうまくゆかなかった模様だが、芝居のほうは、がっちり噛み合った充実感があり、二日目の方がよかった。犯人は告白しているが、おそらく自覚がない。忘れてしまっているのだ。当然、演劇で言う“第三の壁”がカッチリあって、観客がいないフリをしている劇ではない。基本はお客に向かって語る。微妙な空気感で別次元をつくっている。探偵ゲームの部分。繰り返していることがわかる様に、動作とか直前の効果音や鍵になる台詞など細かく決めてある。比喩的に「エントロピー」が増えると、摩擦熱の煙があがる。ゲーム部分は稽古の積み重ねがあり、いくつか層が見える。

  • 006. 劇団どくんご『ただちに犬 Deluxe』東京公演初日(19:05-21:20_¥3,000-) @西日暮里「諏訪神社・境内・特設テント劇場」。
    • 受入元さんの情宣の甲斐あってお客さんかなり多かった。自分としては見たい位置取りままならず、やや勝手が違った。「健太さん × みほしさん」、「時折さん・博士の段」はフレームだけ決まっており、細部はアドリブ的に変わっている。五月さん今回は輪をかけて良かった。声の通り。叫び。健太さん怪しい東洋人の物売り。時折さんの現代文学的・映画的な1シーン。【分節ごとにフリをつける動き。】アウトサイダー系、社会階層的にロークラスの造型への徹底。東京では風が無くこまかい漫画的な効果がわかった。【繰り返され、言葉がズレてくる。ヒートアップしてくるシーン、どうか。伝わっているか。理解できているか。】この部分と、みほしさん、まほさんのソロがじっくり伝わるようになった時が完成形なんだろう。夏。犬。このこだわりがまだ掴めない。時折さん最後のビバップ的叫び・歌。東京の野外はまったく散文的だ(良くない意味で)。
  • 「日本のシュルレアリスム 〜 幻想の板橋・近現代編」展 (¥0-)。 @西高島平・赤塚溜池公園「板橋区立美術館」。
    • 収蔵品がメインの展示。2部屋。あんまり力感じない。当時のハイカラ趣味だったんだなあ。戦後の「中村宏」とか「池田龍雄」はねらいがボケるので分けてほしかった。しかし抜粋された限り「瀧口修造」評論文ひどかないか。ダリダリいってないで出来る限り満遍なく作家を紹介しないと。...ちなみに板橋美術館は、結構重要な過去の展覧会の図録を今も販売している。
  • 005. ダニエル・ジャンヌトー演出 サラ・ケイン作《ブラスティッド》(16:30-18:32_¥4,000-) @静岡 日本平「静岡舞台芸術公園・稽古場棟 BOX シアター」。
    • 2004年のキタムラアラタ演出版が日本初演。シアター・アンネフォール。於「シアター・カイ」。今から考えてもなかなか冒険していた。部屋の向こうに半透明の抽象的な街並みが見える。「キム・キヨン」のキーボード演奏の入るインターバル。ケイト役を「早乙女宏美」さん。SM 系のセクシャル、或いは猟奇的なパフォーマンスをやってきた小柄な女性。
    • こちらは最新のフランス公演版(2005年)。白人の男役の演技設計と最終場面の造型が工夫してある。【この作品。人種がどうなっているのか良くわからない。白人の男女に有色人種の兵士か、または女はアジア系なのか。】...兵士の言う「お前はいつまでたっても自分のケツのことばかり考えてるな。」この台詞と、女が材木で作る十字架(赤ん坊を葬って祈る)が決定的な場面。さすがに若書きだからか、中年男がずいぶん幼稚に感じられるし、三文冒険小説風の設定らしい上【舞台設定がイギリスの地方都市というのは違うんじゃないか】、シーンとシーンの繋りがうまく取れない感じが強く呆気に取られる。過剰というかオーバーな残酷描写が続くが【いや、戦場では良く行われることらしい。ボスニア紛争では、死体から肉をこそげとった。】、終わり近くなると写実に象徴性が焼付けられているのが分かる。極限状態の原始人。古典的なテーマで理解しやすいと思う。
  • 004. 「世界のドキュメンタリー 2008」# 08「リティ・パニュ 〜 歴史と記憶の記録者」...《さすらう者たちの地》(1999) (100 min) (13:03-14:41)//《S21 クメール・ルージュの虐殺者たち》(2003)(101 min)(14:52-16:38)。 @京橋「映画美学校・第一試写室」。
    • 15歳で収容所から脱走し、フランスで成人した監督。故国の現状を撮影しつづける。古典的といってもいいような整った構成。
  • 《さすらう者たちの地》(1999) (13:03-14:41)。
    • カンボジア初の光ケーブル設営工事。路肩に溝を掘って埋め戻して行く。貧しい村から、難民キャンプから、小さい子供を抱えた家族が工事に従事しにやって来る。子供らは薪を拾い、道端の泥川で魚や蟹を取って晩飯のおかずにする。工事も国境まで近付いたある日、3週間分の賃金が工事関係者に持ち逃げされる。やりくりが着かなくなって貨車に乗って、村に戻る人々。
  • 《S21:クメール・ルージュの虐殺者たち》(2003) (14:52-16:38)
    • 二十数年前。カンボジアで「S21(トゥールスレン)」と呼ばれていた反革命勢力「敵」の粛清施設。現実にはデッチアゲの罪状で闇雲に大量殺人を繰り返していた異常な収容所だった。その施設で働いていた男たちに建物の廃墟で当時の模様を再現して演じてもらう。囚人から病院で使うための血を抜いて殺していたり、幼子を母親から引き離して殺害し婦女暴行を繰り返していた実態が明らかになってくる。いまだ生きている当時の看守たちは自分たちには責任はないと頑なに言い放つ。/元職員、虐殺犯たちの日常はほぼ放心状態で過ごしている。何か言われると頭痛を訴える、という暮らしぶりらしい。