《早春 Deep End》

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早春/スコリモフスキー パラマウントCIC

  • ポーランド映画界の新世代の旗手として、名前ばかり伝わってきていたイエジー・スコリモフスキーの作品がついに日本でも公開される。彼の作品は各国際映画祭で受賞しながら、殆ど米国のアート・シアター位でしか上映されていなかったし、故国においてさえ、上映禁止、製作中止の隘路を辿っているものが多い。
  • 物語の舞台はロンドン。十五才の少年ジョン・モルダー・ブラウン(《初恋》)はアルバイト先の公衆浴場で知り合った年上の女性ジェーン・アッシャー(《きんぽうげ》)に熱烈なファースト・ラブを覚える。ひたむきな慕情、嫉妬、そして性......揺れ動く少年の心とそれをもて遊び、傷つける若い女の奔放な肉体を描いたこの異色作、どういう反響を呼ぶであろうか。

今野雄二(29歳)《早春 Deep End》...『キネマ旬報』1972/06 下旬 No.581。

  • まっ赤なペンキがカンからこぼれて、ドロリと流れ落ちるところは、実際死体からゆっくりと吹き出される血のかたまりに似ている。怖しいはずなのに、そのあまりの美しさにうっとりとしてしまうのは、いかにも少年の夢にふさわしい血の魅惑である。
  • かつて、ポランスキー出世作《水の中のナイフ》で脚本を共同で担当していたというポーランドの若手監督イエジー・スコルモフスキーのロンドンで撮ったという作品を見終って、ぼくはこの作家のイマジネーションのひらめきのすばらしさにほとんど恍惚とさせられてしまっていた。たった一ヶ所だけ、それも映画のいちばんお終いのところで、一瞬、彼がくりひろげて見せた、血みどろの狂気の幻想のあまりにみごとな美しさに、ぼくはうっとりさせれてしまったのである。
  • 開巻、タイトル・バックに流れ落ちる血の色をしたペンキが、映画の最後の部分に時間を越えて辿り着き、プールの水に溶けてしまっていたからには、この映画のラスト・シーンをのみ語ることは許されていいだろう。
  • スコルモフスキー自身、描きたかったことはこのラストのシークェンスでありその他の大部分はどうでも良かったに違いない。要は、ラストに至る主人公の少年の夢の過程だけが描けていれば良かっただけである。
  • 雪の中で落とした指輪のダイアモンドを探し出すために、ビニールの袋に雪をつめてもどってきた少年と年上の美少女との2人は、勤め先である浴場のプールにやってくる。日曜日の空っぽのプールの中で、2人は雪を融かし、ストッキングでその雪をこして、ダイアモンドを見つけようとする。
  • まだ青春の戸口にようやく立ったばかりの幼い少年と、上流階級の青年との結婚を夢見ながら学校の教師などと関係を持つ美少女の2人......少年は彼女に生まれて初めての熱い憧れを抱いている。
  • ダイアモンドが見つかり、全裸で少女を待ちうける少年と、フィアンセのもとへ急ごうとして一瞬のためらいの後に、全裸になって少年を抱く年上の美少女。そして反応できない少年を置き去りにして、女は立ち去って行く。この味気ない一瞬こそ、少年の夢の世界と現実との厳しい接点に他ならない。しかし、少年は夢みた!
  • 自分の願いをふり切って行こうとする彼女の後頭部に少年の押したライトが当たり、彼女は水かさを増していくプールの水の中に血を吹いて倒れる。血の色をしたプールの中で、少年は少女の死体を抱き、まるで愛撫を交わすかのようにたわむれ続ける。
  • このネクロフィリアの美しくも哀しい幻想は、他ならぬスコルモフスキー自身の夢だったのだろう。(英*マラン・フィルム・ケテルドラム作品*CIC配給*封切日五月二七日*紹介第五八〇号)

山田宏一(34歳)『スコリモフスキーの《早春》は気狂いピエロの初恋だ』〜「シネ・ブラボー」連載・30〈特集版〉...『キネマ旬報』1972/07 夏の特別号 No.582。

    • ぼくはまだ、未来を考える年頃ではなかった。そうだ、ぼくがマルトに望んでいるのは、他日彼女と相見る次の世ではなくて、むしろただ、無、それ自身であった。.........レーモン・ラディゲ(江口清訳《肉体の悪魔》)
  • イエジー・スコリモフスキーが、その《身分証明書》を提示して、ムンク、カワレロヴィッチ、ワイダ、そして国外へ“亡命した”ポランスキーのあとを継ぐポーランド映画の〈戦後〉の、いわゆる〈失われた世代〉の最も遅れてきた、つまりは最も絶望的な青春の旗手として、いわばジャン = リュック・ゴダールひとりを残して形骸化したヌーヴェル・ヴァーグの残り火がかすかにくすぶりつづけていたフランス映画、ひいてはヨーロッパ映画に、したたかな殴り込みをかけたのは、すでに1964年のことであった。同じ年、イタリアでは、60年代の怒れる映画の新世代のもう一方の旗手ベルナルド・ベルトルッチが、たからかに、《革命前夜》を告げた。西ドイツではジャン = マリ・ストローブが《妥協せざる人々》で、あるいはまた、ブラジルではグラウベル・ローシャ(《アントニオ・ダス・モルテス》)が《黒い神と白い悪魔》で、それぞれ映画の賭場荒らしに立ち上がった。彼らは、だれよりもまず、ゴダールを信奉し、一方また、彼らの映画をだれよりも先に発見し、熱狂的に支持したのが、ゴダールであったから、やがて、ゴダールの周辺には、これら各国の新しい映画の旗手たちが結集して、かなり緊密な親交を結ぶようになる。
  • スコリモフスキーは、彼の第4作目にあたる《出発》(1967年) をベルギーで撮るが、そのときの、撮影ウィリー・クラント、主演ジャン = ピエール・レオ、カトリーヌ = イザベル・デュポールのコンビは、ゴダールの《男性・女性》(1966年) のスタッフ・キャストをそっくりそのまま借りたものだったし、ベルトルッチの最新作《暗殺の森》(1970年) だって、アルベルト・モラヴィアの原作、ジョルジュ・ドルリューの音楽というかたちによる、ささやかな、はるかなゴダールの《軽蔑》(1965年) への賛歌だとすら、いささかコジつけてみたい気もするのである。(因みに、《暗殺の森》は日本公開があやぶまれているとの噂も耳にしたけれども、このすばらしい傑作をオクラにする手はない!)
  • スコリモフスキーは、詩人でボクサーという、彼自身の風変わりな青春のキャリアを、自叙伝的に描いた(すなわち自作自演の)《身分証明書》と《不戦勝》(1965年) 、次いで《バリエラ》(1966年) 、《出発》と、つねに、傷つきながらも、したたかな、詩人としてのボクサーとしての挑戦的な姿勢をくずさずに、ひとことでいえば、ひたすら青春映画を撮りつづけてきたのである。彼は、この一連の彼の青春映画のテーマを、次のような彼自身の詩の一節(拙訳はおゆるし願いたい)を引用して、要約したことがある。(〈レクスプレス〉第1066号所載)
    • 長い年月を無為にすごし/青春を 恋を あざわらったあとで/ぼくは/まるでのどをしめつけられる思いで/もう一度すべてをやりなおそうと思う/だが ぼくは/ただ自分のネクタイを結びなおすだけ
  • と。その“こころ”を、安易に絶望の名ではよぶまい。青春との訣別は、死ではありえても、かならずしも絶望ではないからだ。というよりも、ぼくらはいくたび絶望しながら、ダラダラと生きのびてきたことか。
  • スコリモフスキーは、彼の長編第5作《手を挙げろ!》(1967年) が「スタ−リニズム批判のかどで」ポーランド政府によって抹殺されたあと、先輩のポランスキーにならって(スコリモフスキーが、ポランスキーの長編第1作《水の中のナイフ》の脚本と台詞を書いたことは、周知の通りだ)、ポーランドをとび出て、各国の映画界を放浪する。まずプラハで、オムニバス映画《対話》(1968年) の1挿話を《出発》と同じくジャン = ピエール・レオ主演で撮り、次いで、ローマで、といってもこれはアメリカ資本(ユナイト映画)による大プロダクションだったので、チネチッタのスタジオで大がかりなオール・セット撮影による、コナン・ドイル原作の《勇将ジェラールの冒険》(1970年) をつくったが、「アメリカ人たちの手でズタズタにカットされてしまった」という。「これはもう私の作品ではない」とスコリモフスキーは語っているそうである。
  • ローマで起こったこの不幸な出来事のあと、スコリモフスキーは、ミュンヘンとロンドンにおいて、西ドイツとイギリスの合作《早春》(1970年) を撮った。すでに、東京では、《不戦勝》と《バリエラ》が青山の草月会館ホールで、また、《出発》が京橋のフィルムセンターで、それぞれ、ひっそりと上映されたことはあるけれども、スコリモフスキー作品が日本で一般公開されるのは、もちろん、この《早春》がはじめてである。そして、これが、おそらくは、《バリエラ》とともに、いや、もしかしたらしれ以上に、スコリモフスキーの最高作ではないかとぼくは思うのだ。
  • ぼくと同じように(といっても、これはことばのアヤにしかすぎないが)、恋を知った瞬間に絶望を知った者にとっては、この映画のワン・ショットとして、身につまされないショットはあるまい。《早春》は、ぼくの知るかぎり、すくなくともぼくにとっては、最も華麗にして鮮烈な、青春映画の白眉なのだ。《おもいでの夏》よりもなつかしく、『遊び』よりもやさしく、そして、『八月の濡れた砂』よりも悲痛な、初恋の映画だ。もちろん、『初恋・地獄編』ほどにすべてがなげやりではないし、《好奇心》ほどにすべてが快適でもなく、《恋》ほどにすべてが深刻でもなく、《初恋》ほどにすべてがつめたくもない。《早春》は、笑いすぎて涙が出てくるくらいのユーモアでいっぱいだ。
  • 《早春》の主人公マイク(ジョン・モルダー・ブラウン)は、15歳の少年である。彼は、おそらく家が貧しいので、学校を途中でやめて、場末のプールつきの公衆浴場に接客係として就職するのだが、これは、もちろん、彼自身が望んで就いた仕事ではない。オート・レーサーになる夢を抑圧されて、いやいやながら理容院の見習いをやっていた《出発》の主人公の少年(ジャン = ピエール・レオ)の場合と同じように、《早春》は、マイクという少年の人生における初仕事の物語、その〈修業時代〉の物語なのである。そして、マイクもまた、《出発》の少年と同じように、はげしい性的抑圧から解放されるためには、暴力でもって自己表現するしか術を知らないのだ。少年が、この映画のラスト・シーンで、愛する女性を殺してしまうのは、偶発的でありながら、じつは、まったく必然的なアクションの結末なのである。
  • この映画を根底からダイナミックにささえている内的アクションの暴力性には、胸をしめつけられるような痛烈さがある。その内的アクション......それはものに感じやすい15歳の少年の心臓の動悸(ときめき)でもあるだろう......を最も直接的に反映しているかと思われるのが、この映画の鮮烈な色彩である。鈴木清順は「ピンクは狂気の色である」と書いたことがあるが、スコリモフスキーの映画では、赤が死の色である。赤いペンキ、赤い枕、赤い自動車、赤い信号、そして赤髪までがこの映画では〈女〉の死を予告する。もちろん、赤は血の色でもある。《早春》の冒頭、タイトル・バックの画面いっぱいに超クローズ・アップで捉えられた、プールに水を引く導管の塗りたてのペンキの真紅の“したたり”は、そのイメージにかぶさる、「今夜こそぼくは死のう......」というキャット・スティーヴンスの唄とあいまって、まるで、切られた手首の動脈からしたたる血の赤を想起させるのだ。《早春》は、エロティシズムと死の映画である。
  • うすよごれた廊下の壁が、突如、真紅のペンキで“血塗られる”とき、ぼくらは、ぞっとするくらい、おそろしい死の予感に戦慄を覚えるのである。そして、黄色や青や緑がたえず、この映画では、赤を出頭させる手筈をととのえているかのようである。たとえば、女が、血みどろになって死ぬラスト・シーンの寸前までずっと着ている、あざやかな黄色のエナメルのマキシコート。この映画の色彩には、目をみはらせるような、ものすごい加速度がある。
  • 15歳の少年の目には、周囲の“おとな”の世界が、何もかも、きたならしくグロテスクにみえる。汗のにおいがしみつき、垢でうすよごれた浴室、その汗のにおいや垢を毒々しい青や緑やときには赤のペンキで塗りつぶした壁。浴場にかよってくる脂肪のかたまりみたいな中年の婦人客(なんとこれが、おそろしいリアリズムで、グロテスクに、描破された、かつてのグラマー女優ダイアナ・ドースのなれの果て!)は、シャワーやシャンプーの世話だけでは満足せず、この、まだ女を知らない少年を、そのうすぎたない欲望の餌食にしようと狙うのだ。この、うすよごれた、みすぼらしい公衆浴場が、15歳のマイク少年の目に映った、“おとな”の世界の最初のイメージであり、彼の思春期の夢や欲望のはけ口を封じこめてしまう出口なき状況だ。この公衆浴場のある場所はロンドンだが、それは、かつて、ポランスキーが《反撥》(1964年) で覗き見た狂気の風土でもある。