「世界のドキュメンタリー 上演と講義 2006」#9「アジアドキュメンタリーの水際」フォン・イエン《長江の夢》(1997)/リ・イーファン+イェン・ユィ《水没の前に》(2004) @京橋「映画美学校」。


(13:00-/13:47-15:15//15:30-17:55)

シルクロード唐帝国』そのほか。


「佐藤真(さとうまこと)」さん復帰。演劇の「佐藤信」さんは知らねども、初対面の監督氏は、話術の巧みな、眼鏡、背の高い陽気な男性だった。過労で絶対安静になる位だから(著書の内容からも、仕事ぶりからも)、ドグマティックで陰気な感じの人物かと勝手に想像していたが、全く違っていた。機会があれば公開講座なども面白そうだ。...本日は揚子江(長江)「三峡ダム」の周辺二本。
森安孝夫『シルクロード唐帝国』(講談社「興亡の世界史」5)の記事。その他の資料。
中国は漢民族の国ではない。「遼」「金」(スキタイ系)「元」「清」が征服民族による王朝だとされていたが、「唐」も北方民族の鮮卑族の王朝だろう。
事実を隠蔽する歴史書が捏造されていたため、認識が遅れた(佐藤氏曰く。日本でも渡来人の王朝が『古事記』『日本書紀』等の偽の歴史書を捏造してるでしょ。卑弥呼の「邪馬台国」も、ヤマト朝廷が突然現れたことを隠蔽するための嘘じゃないか)。
イードの映画を撮った関係で、エルサレムは行った事がある。世界の中心という感じだった。キリストが坐った石があって、みんなが撫でるからツルツルになっていて、その上にはマホメットが昇天した建物があって、ユダヤ教徒嘆きの壁があって、なんだかわからない宗教のものがあって、浅草寺みたい、要塞みたい。有楽町の映画館街くらいの大きさだった。
中国には中心が無い。都が転々としている。
フィリピンでチャイニーズ・スパニッシュの資本家と会ったことがある。中国人は交じり合って、その場で生きてゆく。ヤブカラシという草があるけど、似ている。日本人は流れる川の石になってがんばるんだけど、大水が出たら流されておしまい。中国人は石にくっつく苔になるというんだね。転がった先で生きる。

なぜ中国でダイレクトシネマの傑作が生まれたか。
「観察」という言葉は英語で「オブザベイション(observation)」。「観」という字は「鳥が高いやぐらのうえから見ている」と分解できる。英語は「距離を置いて(水平に)・見る」という意味に分解できる。
日本人は、木と紙の国らしく、どうせすぐ燃えちゃうから、同じものを造り直せばいいという発想だが、中国人には、「通時的」な意識、「歴史を貫く何か」を考える意識が間違いなくある。
じゃなかったら、中国国内でも上映が禁止されているのに、9時間もの《鉄西区》などという映画が撮られるはずがない。朝から見始めても、休憩とって見ていたら晩飯の時間になるんだから。普通の生活を送っている人間なら見られない。中国人は自分たちのやっていることが「天」から見ても存在がわかるものにしようとし、自分の仕事の意義に確信をもっている。

《長江の夢》

《水没の前に》