「日本アンダーグラウンド演劇」まだ山川三太「傾きの故郷 二部作」の続きです。参考資料 2。

tsunoda2008-02-11


本田英郎『勲章の川 〜 花岡事件』(1975)

  • 第一幕。
    • 日章旗と演壇。勲章の男。鹿島守之助の受勲の報告式スピーチ。鹿島の人道主義を強調する。
    • 地元の高校。昼休み。ギターを持った生徒たちのかったるそうな時間潰し(ギターに鉤十字のシール)。
    • 歴史の授業。教師の庄司勝、花岡事件の講義(途中まで)。
    • 先程の生徒たち、一部動揺。親たちに尋ねて、困らせてやろうという生徒も。
    • 職員室。女性教師の桑原と庄司、論争。庄司、自分の父親のことをとりあげるつもりだと言う。
    • 寺。老婆のシゲと住職の達明が供養塔にお参り。
    • 与吉と嫁に行った娘、克子が会話する。与吉が鉱山の仕事で役職付きになったらしい。
    • 高校生の浩二、シゲと住職に事件のことを聞く。現代っ子らしい反応。鉤十字の事を住職に注意されるが減らず口をたたく。
    • 寺に下宿している庄司に匿名の脅迫電話が何件も。
    • 成田家の団欒。大館に嫁にいった克子(どうやらおめでたらしい)も戻っている。ご馳走。
    • 浩二遅れて来る。軽口。「共楽館」にいって来たと言うと母親(そよ)が激怒。
    • 庭の蛍に託つけ母親をからかうと、突然父親に頬を張られる。
  • 第二幕。
    • 庄司に上司から講義中止の圧力がかかる。庄司は拒否。
    • 土手。成田夫妻が泣いている。
    • 高校生たち。断片的な知識をつなぎ合わせる。戦犯の名前リストと照らし合わせ、身内にいないのを一応確認。大人をやっつけよう。
    • 寺にそよ(母親)が来る。庄司に授業をしないで欲しいと。住職は、虫が良すぎる、と、子供の浩二は戦争の話にウキウキするような体たらくだと言われる。成田与吉は中国人を一人殺して戦後山に隠れていた。住職、そよを諭し家に帰す。「一殺多生」という。
    • 夜の共楽館で肝試しする生徒たち。
    • 庄司と桑原が歩いている。庄司、改めて気を引締めて語りたいと。生徒たち現れる。先生は自分が無関係だから授業をするのかと責める。庄司否定する。
    • 雷鳴。浩二、家でノートに歌詞を書いている。「大人はその時なにをしていた。俺たちにはそんなの関係ねえ。ザマーミロ。」
    • そよとシゲ畑から戻る。浩二、二人を問い詰める。シゲ諭すが、浩二、ふざけ続ける。
    • 与吉、いきなり現れ浩二のノートを引き裂く(役付きといっても夜勤らしい。寝ていた)。
    • シゲ、与吉と言い争いになる。
    • 庄司の授業に転換。...虐待された中国人たちの逃亡。脱落グループが出来る。
    • 獅子ヶ森包囲。逃亡者たちを捕える。
    • 共楽館前の残虐行為。ふかしたジャガイモをこっそり与えた人がいた。
    • 共楽館での暴行と拷問、虐殺。惨たらしさに世間も沈黙。
    • 敗戦。しかし鹿島の支配はしばらく続いた。敗戦後も中国人を殺しつづけた。軍事裁判を逃げきった鹿島幹部。
    • あいつらは鬼。おめえは仮にも人間だぞ(シゲと与吉の口論インサート)。
    • 庄司。生徒に石を投げさせた校長は自分の父親だ。
    • 敗戦が決まる。石碑が立ち、中国人を閉じ込めていた場所はダムの底になった。
    • 庄司、告白を終え、去る。
    • 与吉開き直る。殺したのは手向かった兵士だ、と。シゲ、与吉が殺したのは、ジャガイモを渡した衰弱した農夫だったという。
    • 子供たち怯える。
    • 演壇の鹿島守之助。クリスチャンになっているらしい。アーメン。
    • 暗い土手の浩二。
      • 本田英郎さんは、いわゆる「新日本文学」などの左翼系の人ではない。従軍体験から、反戦、社会派の劇作家、ノンフィクションの作家になった。有名な業績は放送作家としての多くのテレビドラマの脚本。60年代の朝日放送系?(会社が合併している)の『判決』シリーズなど。
      • 版画と詩の『花岡ものがたり』。想像以上に影響力をもった本。この戯曲の庄司の講義は、『花岡ものがたり』に内容を負っている。
      • 「鹿島守之助」は実在の人物。外交関係でも働いた。閨閥超エリート。中曽根さんとも親戚。「鹿島平和賞」なんてのもあった。いいのかこんなこと書いていて。でも事実だもんな。企業コンプライアンスなんて一切なかったころの事件やね。ダシール・ハメットの小説なんかにも出てきそうだ。ブラッド(レッド)・ハーベストなんてな。
      • 花岡事件」が本格的に発掘されたのは1971年以降。左翼の人たちは自分たちの政治闘争で、二十年間忙しかったから、戦争の後処理の件については手遅れになるほど時間がたってしまった。70年代に革命を唱えるのは反動的ですよねえ。そして東アジア諸国は自分たちの歴史の桎梏の中にいた。情勢がずれていた。